宗谷 (船)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 交通 > 船舶 > > 宗谷 (船)の意味・解説 

宗谷 (船)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 18:09 UTC 版)

宗谷(そうや)は、海上保安庁砕氷船巡視船としての船番号は PL107。前身の大日本帝国海軍特務艦[10]時代も含めて昭和期の多くの歴史的事件に関わり[注釈 2]、特に1956年から1962年まで南極観測船(初代)を務め日本の南極観測事業の礎を築いたことで広く知られる。


注釈

  1. ^ そうや進水後、退役するまでの間は初代宗谷と区分されていた[1]
  2. ^ 戦時中だけでもラバウルの戦いミッドウェー海戦第一次ソロモン海戦ガダルカナル島の戦いトラック島空襲復員輸送など[11]
  3. ^ 他に鵜来型海防艦おじか型巡視船志賀があったが[12]、1998年に解体されて現存しない。
  4. ^ 特殊な船舶まで含めた場合は潜水艇しんかいが揚陸された状態で保存されている。
  5. ^ 敷島型戦艦三笠は、ワシントン海軍軍縮条約によって軍艦籍から除かれた後、岸壁に固定され「工作物」の扱いとなっている。
  6. ^ 宗谷が実施した測量や調査は、ビスマルク諸島ニューアイルランド島ニューブリテン島)、ソロモン諸島ブカ島ブーゲンビル島ショートランド諸島)、中部太平洋諸島など。
  7. ^ ロシア語ではアクセントのないоは、アに近いのでヴァラチャーイェヴィェッツが近い発音。赤井謙一『世界の砕氷船』50頁。
  8. ^ 天領丸、民領丸の記録はなし[24]
  9. ^ 前任は軽巡洋艦「神通」副長。
  10. ^ 前任は「占守型海防艦国後艦長(海軍辞令公報では8月11日付)。
  11. ^ 4月10日付で第八特別根拠地隊は第八根拠地隊に改編され[63]、宗谷も引き続き同部隊に所属する[64]
  12. ^ 船団本隊は、5月28日サイパン発予定であった[74]
  13. ^ 支援部隊:第七戦隊(第1小隊〈熊野鈴谷〉、第2小隊〈三隈最上〉)、第8駆逐隊(朝潮荒潮)、タンカー日栄丸[79]
  14. ^ 第八艦隊は1942年(昭和17年)7月14日に新編された[91]。南東方面(パプアニューギニアソロモン諸島など)の作戦を担当する“外南洋部隊”であり、従来この方面を担当していた“南洋部隊”(第四艦隊)は“内南洋部隊”に改称した。
  15. ^ 明陽丸沈没により、400名弱が戦死した[95]
  16. ^ 宗谷は明陽丸救援に向かい、さらに不時着した一式陸上攻撃機の搭乗員を救助したという[96]
  17. ^ この日、初代特務艦長・山田雄二大佐が第20駆逐隊(夕霧朝霧天霧白雲)司令としてガダルカナル島に向かう途中、ヘンダーソン飛行場から飛来したSBDドーントレスの急降下爆撃により戦死した[99]
  18. ^ 宗谷が爆雷を投下したという証言もあるが、宗谷が爆雷を搭載したのは横須賀に戻ってからという証言もある[108]
  19. ^ 天谷大佐の前任は第34駆逐隊司令。久保田大佐は横須賀鎮守府付となって退艦した。後日、軽巡名取艦長として戦死した。
  20. ^ 2月14日、姉妹船「民領丸」がアメリカ潜水艦フラッシャー (USS Flasher, SS-249) に撃沈された。
  21. ^ 深夜パラオへ向かう途中、との元乗組員の証言あり。座礁した後、爆雷20発を放棄[118]
  22. ^ 空母機動部隊の艦上機による夜間空襲は、照明弾を使用する(タラント空襲など)。
  23. ^ エンタープライズはTBF 12機を夜間攻撃に投入し、1機を喪失した。
  24. ^ 天谷大佐更迭後、福島一男大尉が艦長を代理したと元乗組員の証言有り[120]。なお、天谷嘉重大佐は1944年(昭和19年)12月16日に拳銃自殺した[121]
  25. ^ 宗谷を護衛した駆逐艦は雪風(第16駆逐隊)との第四梯団輸送指揮官だった山本陸軍大尉の証言がある。ただし、実際の雪風はリンガ泊地タウイタウイ泊地で行動していた[127]
  26. ^ このとき天領丸や陸軍輸送船団を護衛していたのは第7駆逐隊()と[128]、駆逐艦野風(途中まで)であった[129]
  27. ^ この時点でのバラオ級潜水艦パーチ (USS Perch, SS-313) は真珠湾で修理中。神津丸を撃沈したのはパーゴ (USS Pargo, SS-264) だったとも。
  28. ^ 入港と同時に海軍工廠より修理担当官が来船し、最優先で修理がおこなわれた。宗谷は石炭で動ける貴重な存在になっていたためである。
  29. ^ イギリス海軍太平洋艦隊に所属する航空母艦フォーミダブルヴィクトリアスインプラカブルインディファティガブルを基幹とする機動部隊で、アメリカ海軍の指揮下で行動する[139]
  30. ^ 第37任務部隊は女川港を空襲、港に残った大浜は攻撃を受けて大破、着底した[141]
  31. ^ 終戦時には運送艦として部類されていたが戦後は混乱のためか砕氷艦と表記している資料も存在する。昭和20年10月12日付 海軍広報 第5203号 アジア歴史資料センター レファレンスコードC12070530500で閲覧可能。
  32. ^ 土井艦長と宗子は宗谷退役時に再会することになる。
  33. ^ 艦艇から船に。これ以降、青函連絡船宗谷丸と誤解されるようになる。
  34. ^ 元ロシアの客船アルグン号、日露戦争の最中拿捕され羅州丸と改名、1904年5月から1945年3月に戦没するまで灯台視察船として従事する。
  35. ^ 1955年12月26日、後継船として大阪商船若草丸が購入され八代目灯台補給船「若草」として灯台補給船の任務と号鐘を継承した[168]この号鐘は現在、広島の海上保安大学校史料館にて保存されている。
  36. ^ 宗谷は建造当初から二重船底であった。
  37. ^ 当時灯台部長だった土井智喜は解任式の最後に灯台を廻り馴染みしわが船の南極へ航く栄を祝わんと和歌を一首詠んだ。
  38. ^ 現在はコットンハーバーに跡地がある。
  39. ^ 改造費用4億6,730万円、そのうち7,000万は若草購入費[168]
  40. ^ 日本鋼管はこの経験を基に、後に砕氷艦ふじしらせ(初代)しらせ(2代)砕氷型巡視船PLH01そうやPM15てしおを建造することになる。
  41. ^ 片舷110度傾いても転覆することなく、必ず復原するように設計された[173]
  42. ^ 海鷹丸は10月28日に出港、海洋調査を行った後、ケープタウンで合流。
  43. ^ 宗谷の強運の拠り所とされていた「宗谷神社」だがGHQに接収された時撤去されていた[177]
  44. ^ 宗谷の艦内神社には富士山本宮浅間大社の浅間大神が祀られておりこれは、ふじ、新旧しらせに受け継がれた。
  45. ^ 別名、不夜城宗谷と呼ばれていた『昭和基地物語』71頁。
  46. ^ ソ連観測隊は砕氷船オビ号とその姉妹船レナ号、観測船コオペラツィア号の3隻で構成されていた[180]
  47. ^ 現在は「大利根水道」として親しまれている[182]
  48. ^ 米国のグレイシャー、ウェスト・ウインド、ベルギーのポーラハブ、ポーラシルケル、オーストラリアのサラダン、ソ連オビ[194]
  49. ^ 当時放送されていた月光仮面第3部マンモスコング編の背景に試運転中の宗谷が偶然写り込んでいるシーンがある。
  50. ^ 106、107号と名付けられた。
  51. ^ 201、202号と名付けられた。
  52. ^ トチ、アク、ミヤと名付けられた[208]
  53. ^ 見送り船は若草、あつみ、うみかぜ、うらかぜ、むつき
  54. ^ 米国務省係官[205]
  55. ^ 宗谷の船底部は建造当初から二重構造で強固な耐氷策が取り入られて堪航性は十分と判断され経費節約上この部分は補強工事対象外とされた[217]
  56. ^ 302号と名付けられた。
  57. ^ 海洋生物の資源調査は海鷹丸が別行動で担当することになった。
  58. ^ 当時の日赤にもない最新の医療設備が調っていたと医師は証言した[226]
  59. ^ 衰弱した患者に輸血が必要だったが、あいにくと輸血用血液を持ってきてなかった。だが乗組員数名が献血を名乗り出て輸血することができた。
  60. ^ 同日、そうやが日本鋼管鶴見造船所にて進水。

出典

  1. ^ 海上保安庁『船艇航空機整備の歩み』
  2. ^ a b 海人社『世界の艦船』2006年11月号 153頁
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『資料ガイド3宗谷』46頁。
  4. ^ a b c d e f g 文部省 1963, p. 228.
  5. ^ a b MDLニュース サヨナラ宗谷 カメラレポート宗谷の遍歴。
  6. ^ a b c わが海の故里-回想 宗谷 第一章-幸運の船-22頁。
  7. ^ 船の科学館『資料ガイド3宗谷』21頁。
  8. ^ 若井登・小口高 『14人と5匹の越冬隊』5頁
  9. ^ 海上保安庁三十年史 45頁
  10. ^ a b c d e f 日本補助艦艇物語 232-233頁〔 (4)運送艦(雑用)宗谷(二代) 〕
  11. ^ a b c d e 補助艦艇奮戦記 2016, p. 282b宗谷
  12. ^ 補助艦艇奮戦記 2016, p. 261志賀(しが)
  13. ^ 補助艦艇奮戦記 2016, p. 282a宗谷(そうや/測量艦)
  14. ^ 昭和16年12月14日~昭和17年3月17日 聖川丸戦闘詳報 ウ島作戦に於ける作戦 PR作戦 搭乗員表(4) 」 アジア歴史資料センター Ref.C08030645600  p.1(4F機密第206番電)(略)〔 一月二十日附 (13)宗谷 (14)第四測量隊/(65)田子ノ浦丸ヲ削ル 〕
  15. ^ #第8艦隊日誌(2) pp.23-25(昭和17年10月1日時点の第八艦隊編制表)
  16. ^ 明治38年8月10日付 海軍大臣官房 官房第3040号
  17. ^ 灯台補給船としての後継は若草、南極観測船としての後継はふじ
  18. ^ 大野 2009, p. 18.
  19. ^ 大野 2009, p. 8.
  20. ^ 大野 2009, p. 42.
  21. ^ 大野 2009, pp. 34–35.
  22. ^ 日本補助艦艇物語 229-230頁〔 (1)砕氷艦 大泊 〕
  23. ^ 大野 2009, p. 38.
  24. ^ 大野 2011, p. 56.
  25. ^ 船の科学館『資料ガイド3宗谷』17頁。
  26. ^ 毎日新聞社別冊『一億人の昭和史・昭和船舶史』第23号 地領丸(宗谷)で北千島へ 松林楠雄手記 216-219頁。
  27. ^ 大野 2011, pp. 58–59.
  28. ^ 大野 2011, pp. 63–64.
  29. ^ 大-野 2011, p. 70.
  30. ^ 軍極秘の昭和13年5月4日付け、「改装新砕氷艦」の設計図面が存在し、現在は呉市大和ミュージアムが所蔵。
  31. ^ 昭和16年2月28日付 陸軍整備局長 陸支密第556号「特種作戦準備に伴う特大発、大艀舟及工作船等整備に関する件」に対する、昭和16年6月9日付 陸軍運輸部長 運密第921号「特殊作戦準備に伴う工作船及特大発艇整備完了報告」。
  32. ^ 昭和15年2月20日付 海軍大臣 達第28号。
  33. ^ 昭和15年2月20日付 海軍内令第120号。
  34. ^ 木俣滋郎『残存帝国艦艇』251頁。
  35. ^ 大野 2011, p. 71.
  36. ^ 海人社『世界の艦船』1983年2月号 93頁。
  37. ^ 昭和15年6月4日付 海軍内令第383号。
  38. ^ 補助艦艇奮戦記 2016, p. 283大泊(おおどまり/砕氷艦)
  39. ^ 大野 2009, p. 39.
  40. ^ 大野 2009, pp. 46–48.
  41. ^ 大野 2009, pp. 73–74.
  42. ^ 昭和15年6月4日付 海軍公報 (部内限) 第3518号 「艦船所在 6月4日午前10時調」、および昭和15年6月5日付 海軍公報 (部内限) 第3519号 「艦船所在 6月5日午前10時調」。
  43. ^ 大野 2009, p. 56.
  44. ^ 大野 2011, pp. 88–89.
  45. ^ 大野 2011, p. 90.
  46. ^ 大野 2011, p. 95.
  47. ^ 大野 2011, p. 100.
  48. ^ 大野 2011, p. 108.
  49. ^ 変わりダネ軍艦 2017, p. 51.
  50. ^ 大野 2011, p. 112.
  51. ^ 変わりダネ軍艦 2017, pp. 52a-53士官室で聞いた開戦の報
  52. ^ #S1701横鎮日誌(4) p.1(昭和17年1月7日記事)〔 二、特務艦宗谷軍需品輸送任務ノタメ南洋ニ向ケ横須賀發 〕
  53. ^ #第4艦隊日誌(1) pp.25-27(昭和17年2月)〔 (ロ)麾下艦船部隊ノ行動(其ノ二) 〕
  54. ^ #第4艦隊日誌(1) pp.39-41(昭和17年3月)〔 麾下艦船部隊ノ行動(其ノ二) 〕
  55. ^ 変わりダネ軍艦 2017, pp. 53–55"宗谷おばさん"の上陸作戦
  56. ^ a b 変わりダネ軍艦 2017, p. 55.
  57. ^ わが海の故里-回想 宗谷 第一章-幸運の船-28頁。
  58. ^ 大野 2011, p. 126.
  59. ^ 大野 2011, p. 128.
  60. ^ a b #第4艦隊日誌(2) pp.6-8(昭和17年4月)〔 麾下艦船部隊ノ行動(其ノ二) 〕
  61. ^ #S1703八特根日誌 p.11〔 (三)作戦指導 (イ)(中略)本月末ニハ麾下兵力ノ大部ヲ八特根司令官直率シ「ボーゲンビル」島諸要地ヲ攻略更ニ四月ニ入リテハ第八十一警備隊ノ一部ヲシテ30dg司令ノ下ニ「ロレンガウ」ノ 宗谷艦長ノ下ニ「タラシー」ノ攻略ニ夫々從事セシメ豫定作戰ノ遂行ヲ見ルコトヲ得タリ 〕
  62. ^ 大野 2011, p. 131.
  63. ^ #S1704八特根日誌 p.5(第八根拠地隊改編経緯)
  64. ^ #S1704八特根日誌 pp.5-11(R方面防備部隊兵力部署、軍隊区分)
  65. ^ #S1704八特根日誌 pp.11-14〔 (ハ)MO作戰ニ於テ當部隊兵力ノ大部ヲ之ニ参加セシムルト共ニ攻略部隊ノ出發準備作業ヲ全幅支援ス 〕
  66. ^ #S1704八特根日誌 p.14〔 測量部隊| |宗谷特務艦長|宗谷 第四測量隊|一、既令ニヨル急速設營 二、「ニューギニヤ」東端叢島方面水路調査 〕
  67. ^ a b #第4艦隊日誌(2) pp.15-17(昭和17年5月)〔 麾下艦船部隊ノ行動(其ノ二) 〕
  68. ^ 変わりダネ軍艦 2017, pp. 56a-58陸戦隊を乗せてツラギへ
  69. ^ 戦史叢書43 1971, pp. 179–181支援隊のグァム進出
  70. ^ 戦史叢書43 1971, pp. 184–185護衛隊の作戦計画と打ち合わせ
  71. ^ 戦史叢書43 1971, pp. 122a-123作戦計画の最終決定
  72. ^ 戦史叢書43 1971, pp. 122b-123.
  73. ^ 戦史叢書43 1971, pp. 266a-268護衛隊、占領隊、航空隊
  74. ^ 戦史叢書43 1971, pp. 266b-268.
  75. ^ 変わりダネ軍艦 2017, p. 56b.
  76. ^ わが海の故里-回想 宗谷 第一章-幸運の船-30頁。
  77. ^ 戦史叢書43 1971, p. 002a(付図第二)〔 ミッドウェー及びアリューシャン方面における各部隊の進撃行動図 〕(ミッドウェー部隊は六月四日まで、アリューシャン部隊は六月五日昼まで)
  78. ^ 戦史叢書43 1971, p. 002b.
  79. ^ 戦史叢書43 1971, pp. 270–271支援隊
  80. ^ 戦史叢書43 1971, p. 269船団の被発見攻撃
  81. ^ 戦史叢書43 1971, pp. 478a-479船団部隊の避退
  82. ^ a b c 戦史叢書43 1971, pp. 478b-479.
  83. ^ 戦史叢書43 1971, pp. 492–497船団部隊の避退(六月六日、七日)
  84. ^ 戦史叢書43 1971, pp. 538–539船団部隊のグァム、トラック帰投
  85. ^ a b #第4艦隊日誌(2) p.24(昭和17年6月)〔 麾下艦船部隊ノ行動 〕
  86. ^ 大野 2011, p. 144.
  87. ^ #第4艦隊日誌(2) pp.20-23〔 (a)第七兵力部署(六月十四日迠)/(b)第八兵力部署 六月十五日 〕、#S1706八特根日誌 p.8〔 (ロ)六月二十一日附南洋部隊電令作第二二〇号ヲ以テ宗谷及第四測量隊ヲ南洋部隊主隊ヨリ除キR方面防備部隊ニ加ヘラル 〕
  88. ^ #S1706八特根日誌 pp.10-11〔 (B)「カビンエン」航空基地設營関係兵力部署(機密R方面防備部隊命令作第二二號 〕
  89. ^ #第4艦隊日誌(2) pp.30-33(昭和17年7月)〔 麾下艦船部隊ノ行動(其ノ二)七月 〕
  90. ^ a b 変わりダネ軍艦 2017, p. 57.
  91. ^ 掴めなかった勝利 1994, pp. 97–101.
  92. ^ 掴めなかった勝利 1994, p. 351942年6月~8月間のソロモン諸島海域での行動(オーストラリア戦争記念館提供)
  93. ^ a b 掴めなかった勝利 1994, pp. 98–99.
  94. ^ #第8艦隊日誌(1) p.47(昭和17年8月8日)〔 RAF方面進出ノ設營隊ハ進出中止帰投ノ命ニ依リ反轉ス 明陽丸「セントヂヨウジ」岬ノ二七〇度一四浬ニ於テ明陽丸雷撃ヲ受ケ沈没ス 〕
  95. ^ a b 掴めなかった勝利 1994, pp. 22–23.
  96. ^ 変わりダネ軍艦 2017, p. 58b.
  97. ^ 変わりダネ軍艦 2017, pp. 58a-61ラバウル港にB-17来襲す
  98. ^ #第4艦隊日誌(2) pp.37-39(昭和17年8月)〔 麾下艦船部隊ノ行動(其ノ二)八月 〕
  99. ^ 桜林美佐『奇跡の船宗谷』49頁。
  100. ^ #第4艦隊日誌(2) pp.42-44(昭和17年9月)〔 (イ)麾下艦船部隊ノ行動(其ノ一)九月 〕
  101. ^ 大野 2011, pp. 149–150.
  102. ^ a b 変わりダネ軍艦 2017, p. 60.
  103. ^ 変わりダネ軍艦 2017, p. 61.
  104. ^ a b #第8艦隊日誌(4) p.40〔 一月二十八日宗谷「クインカロラ」西方四浬ニ於テ敵潜ノ雷撃ヲ受ケ一命中不發ch28爆雷攻撃効果確実 〕
  105. ^ 大野 2009, p. 120.
  106. ^ 変わりダネ軍艦 2017, pp. 62–63またも起った戦場の奇跡
  107. ^ 昭和16.12~18.12 大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の1(防衛省防衛研究所)昭和18年1月」 アジア歴史資料センター Ref.C16120657700 〔28| |ブーゲンビル島NW海面ニテ28chハ敵(潜水艦)攻撃(32chg)| |(潜水艦)×1撃破 〕
  108. ^ 大野 2009, p. 121.
  109. ^ #第4艦隊日誌(3) pp.49-51(昭和18年8月)〔 麾下艦船部隊ノ行動 〕
  110. ^ 大野 2011, p. 172.
  111. ^ #S1812二水戦日誌(2) pp.8-9〔 (2)24dg(海風)前月ニ引続キ丁輸送船団第一分団ヲ護衛四日「ブラウン」着/八日同但馬丸日美丸ヲ護衛「ブラウン」発/十一日「クエゼリン」着/十二日同発「ウオッジエ」着陸兵揚搭後即日発/十三日「クエゼリン」着即日発/十八日「トラツク」着(以下略) 〕
  112. ^ 大野 2011, pp. 174–175.
  113. ^ #S1812二水戦日誌(3) p.44〔 一三日一三〇五(司令)24dg(宛略)丁船団第一分団(海風護衛)「トラック」ニ向ケ「ルオット」発 以下畧 〕、同部隊同月戦時日誌 p.52〔 一八日〇九〇〇(司令)24dg(宛略)丁船団第一分団24dg(海風)護衛PT着 〕、#S1809一水戦日誌(4) p.41〔 十八(天候略)〇九〇〇潮「トラック」着(T船團護衛)(以下略) 〕
  114. ^ #S1812二水戦日誌(3) pp.9-10〔 涼風 丁輸送船団第二分団ヲ護衛一日「ポナペ」着(中略)十八日「トラック」歸着(以下略) 〕
  115. ^ トラック大空襲 1987, pp. 159a-161機動力の勝利〈 ――測量艦「宗谷」〉
  116. ^ トラック大空襲 1987, p. 159b.
  117. ^ a b c d e f g トラック大空襲 1987, p. 160.
  118. ^ 大野 2009, pp. 142–143.
  119. ^ a b 大野 2011, p. 184.
  120. ^ 大野 2011, pp. 188–189.
  121. ^ 大野 2009, p. 162.
  122. ^ #S18.12十戦隊日誌(4) p.7〔 (ム)二十四日 野分東松二號船團護衛「サイパン」発横須賀ニ囘航 三十一日仝地着 〕
  123. ^ #S18.12十一水戦日誌(3) pp.17-18〔 二四(天候略)〇五〇〇船団「サイパン」出撃(以下略) 〕
  124. ^ 戦史叢書46 1971, pp. 359–360東松二号船団
  125. ^ a b #S18.12十一水戦日誌(3) p.18〔 二六(天候略)一三〇〇宗谷缶故障續行不能 巨済 那智丸(特砲艦)ヲ對シ父島ニ直行セシム(二八日一二三〇着)(以下略) 〕
  126. ^ 大野 2009, pp. 194–195.
  127. ^ 第十戦隊戦時日誌(昭和19年5月) pp.10-11〔 (5)雪風 大和 摩耶ノ警戒ニ任ジ一日「リンガ」着十日迄同方面ニ於テ訓練警戒待機ニ從事 十一日「リンガ」発「タウイタウイ」ニ向ケ出撃前衛ン警戒ニ任ズ 十四日「タウイタウイ」泊地略掃ノ爲先行同日同地着掃海ヲ實施ス(以下略) 〕
  128. ^ a b #S1904一水戦日誌(2) pp.8-9(昭和19年5月)〔 麾下艦船部隊ノ行動 〕
  129. ^ #S1904一水戦日誌(2) pp.13-14〔 七日一〇〇三(長官)HPB(宛略)七駆司令ハ七駆及野風ヲ率ヰ北千島行「レ」船團(天領丸、サマラン丸、北洋丸、信濃丸)ノ護衛ニ任ズベシ 〕
  130. ^ #S1904一水戦日誌(2) p.49(昭和19年5月15日)〔 〇七〇〇 十八駆(不知火)白陽丸ヲ護衛幌莚發/一七三〇 七駆「レ」船團ヲ護衛幌莚着/一八四五 阿武隈川内沖發大湊ニ回航 〕
  131. ^ 大野 2011, pp. 195–198.
  132. ^ 大野 2011, p. 201.
  133. ^ 大野 2011, pp. 208–210.
  134. ^ 大野 2009, p. 166.
  135. ^ 大野 2009, p. 171.
  136. ^ 大野 2009, p. 174.
  137. ^ 大野 2011, p. 222.
  138. ^ 変わりダネ軍艦 2017, pp. 41–43ものをいった天プラ油
  139. ^ 『残存帝国艦艇』92頁
  140. ^ 大野 2011, pp. 222–223.
  141. ^ 補助艦艇奮戦記 2016, p. 286大浜(おおはま/標的艦)
  142. ^ 大野 2011, p. 236.
  143. ^ 大野 2011, pp. 248–250.
  144. ^ 昭和15年4月24日付 海軍辞令公報 (部内限) 第469号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072077900 で閲覧可能。
  145. ^ a b 昭和15年6月4日付 海軍辞令公報 (部内限) 第488号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072078200 で閲覧可能。
  146. ^ a b 昭和15年10月25日付 海軍辞令公報 (部内限) 第547号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072079200< で閲覧可能。
  147. ^ a b 昭和16年8月11日付 海軍辞令公報 (部内限) 第688号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072081700 で閲覧可能。
  148. ^ a b 昭和18年4月26日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1102号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072090700 で閲覧可能。
  149. ^ 昭和19年2月28日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1348号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072096000 で閲覧可能。
  150. ^ 昭和19年5月31日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1491号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072098900 で閲覧可能。
  151. ^ 昭和19年8月22日付 秘海軍辞令公報 甲 第1571号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072100600 で閲覧可能。
  152. ^ 昭和20年2月26日付 秘海軍辞令公報 甲 第1731号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072103500 で閲覧可能。
  153. ^ 昭和20年12月20日付 第二復員省 内令第12号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070535400 で閲覧可能。
  154. ^ a b 昭和21年3月9日付 第二復員省辞令公報 甲 第79号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072158700 で閲覧可能。
  155. ^ a b 昭和21年6月7日付 第二復員省辞令公報 甲 第152号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072159300 で閲覧可能。
  156. ^ 昭和21年7月1日付 復員庁 復二第67号の定めによる自動解職。
  157. ^ 海人社[世界の艦船]1983年2月号 94頁。
  158. ^ 正式命名は12月1日
  159. ^ 昭和20年12月1日付 第二復員省 内令第6号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070535400 で閲覧可能。
  160. ^ 昭和21年8月15日付 復員庁 復二第165号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070541500 で閲覧可能。
  161. ^ 大野 2009, p. 214.
  162. ^ 日本の燈台史 214頁
  163. ^ 大野 2011, pp. 278–280.
  164. ^ [世界の艦船]2003年7月増刊 194頁。
  165. ^ 川嶋康夫『奇跡の船・宗谷物語』53-54頁。
  166. ^ 大野 2011, pp. 288–291.
  167. ^ 海上保安庁『船艇航空機整備の歩み』506頁。
  168. ^ a b 大野 2011, p. 353.
  169. ^ a b c d e 日本の燈台史 552頁
  170. ^ 文部省 1963, p. 15.
  171. ^ 文部省 1963, pp. 244–247.
  172. ^ 文部省 1963, p. 16.
  173. ^ 南極OB会, p. 184.
  174. ^ 元鵜来型海防艦の新南
  175. ^ 船の科学館『資料ガイド3宗谷』37頁。
  176. ^ 南極新聞 上 朝比奈菊雄編 32頁
  177. ^ 大野 2011, pp. 409–412.
  178. ^ アサヒニュース『昭和基地』33頁。
  179. ^ 南極OB会, p. 190.
  180. ^ 『南極航海記』100-102頁
  181. ^ 熊凝武晴『南極航海記』105頁。
  182. ^ 小島敏男『南極観測船ものがたり』81-82頁
  183. ^ [https://www.youtube.com/watch?v=wh2Wpxk_oms&t=12s 1957年ニュースハイライト(1957年(昭和32年)
  184. ^ 1956年(昭和31年)10月16日郵政省告示第1131号「プリンスハラルド宗谷船内郵便局を設置する件」
  185. ^ 大野 2011, p. 421.
  186. ^ 南極新聞 下 朝比奈菊雄編 67頁
  187. ^ 南極OB会, p. 183.
  188. ^ 元鵜来型海防艦鵜来
  189. ^ 船の科学館『資料ガイド3宗谷』40頁
  190. ^ 文部省 1963, p. 127.
  191. ^ 文部省 1963, p. 128.
  192. ^ 『船艇航空機整備の歩み』257頁
  193. ^ 読売新聞 1957年10月09日
  194. ^ 海上保安庁 船艇航空機整備の歩み 519頁
  195. ^ 海上保安庁 船艇航空機整備の歩み 525頁。
  196. ^ 文部省 1963, p. 130.
  197. ^ 読売新聞 1958年4月28日
  198. ^ 南極物語『タロジロは生きていた』226頁
  199. ^ 読売新聞 1958年5月9日
  200. ^ 宗谷の想いで 29-34頁
  201. ^ 宗谷の想いで 31-35頁
  202. ^ 宗谷の想いで 34頁
  203. ^ 南極輸送記 169p
  204. ^ 産経新聞 1958年10月27日
  205. ^ a b 文部省 1963, p. 53.
  206. ^ 日本経済新聞 宗谷を守る幸運の星 1959年1月7日
  207. ^ 読売新聞 1958年10月27日
  208. ^ 文部省 1963, p. 67.
  209. ^ a b c d e 南極25年史 295-299頁。
  210. ^ 船の科学館『資料ガイド3宗谷』42頁
  211. ^ 南極二十五年史 297頁
  212. ^ 文部省 1963, p. 132.
  213. ^ 小島敏男『南極観測船ものがたり』104-105頁。
  214. ^ 船の科学館『資料ガイド3宗谷』43頁
  215. ^ 文部省 1963, p. 73.
  216. ^ 文部省 1963, p. 134.
  217. ^ 南極OB会, p. 93.
  218. ^ 日本経済新聞 夕刊 1961年5月1日
  219. ^ 日本経済新聞 夕刊 1961年5月2日
  220. ^ 文部省 1963, p. 136.
  221. ^ 文部省 1963, p. 138.
  222. ^ アサヒニュース『昭和基地』63頁。
  223. ^ 文部省 1963, p. 146.
  224. ^ 大野 2011, pp. 456–458.
  225. ^ 大野 2011, p. 458.
  226. ^ わが海の故里-回想 宗谷 第五章-東奔西走-162頁
  227. ^ 大野 2011, pp. 458–461.
  228. ^ a b c わが海の故里-回想 宗谷-有安記- 171頁。
  229. ^ 木俣滋郎『残存帝国艦艇』256頁。
  230. ^ a b わが海の故里-回想 宗谷 -有安記-178頁。
  231. ^ 小島敏男『南極観測船ものがたり』124頁
  232. ^ a b 森仁 写真集北の巡視船 17頁
  233. ^ 沿革 « 小笠原村公式サイト
  234. ^ 朝日新聞 1965年10月26日。
  235. ^ 読売新聞 1966年3月11日
  236. ^ 海上保安庁三十年史 85頁
  237. ^ 奇跡の船・宗谷物語 158頁
  238. ^ 大野 2011, p. 468.
  239. ^ 朝日新聞-1972年3月8日。
  240. ^ a b c わが海の故里-回想 宗谷 第五章-東奔西走-151-156頁。
  241. ^ わが海の故里-回想 宗谷 40年-有安記
  242. ^ 毎日新聞-1978年9月1日
  243. ^ 北海道新聞-1978年3月23日
  244. ^ 大野 2011, p. 473.
  245. ^ わが海の故里-回想 宗谷 40年-有安記-182頁
  246. ^ わが海の故里-回想 宗谷 40年-有安記-184頁。
  247. ^ [1] 日本財団図書館 2016年1月20日観覧
  248. ^ [2] 日本財団図書館 2016年1月20日観覧
  249. ^ 船の科学館『資料ガイド3宗谷』45頁
  250. ^ 原口和久 (2002). 成田 あの1年. 崙書房. pp. 98-99 
  251. ^ 「“宗谷”保存募金」の活用報告について 船の科学館 2015年3月21日閲覧
  252. ^ 初代南極観測船“宗谷”の整備工事に伴う見学休止について(平成26年12月1日〜平成27年1月3日) 船の科学館 2015年3月21日閲覧
  253. ^ 南極観測船“宗谷”一般公開の一時休止について(平成28年9月1日〜平成29年3月31日 )船の科学館 2016年7月21日閲覧
  254. ^ 東京)南極観測船「宗谷」、37年ぶり移動へ 朝日新聞 2016年9月23日閲覧
  255. ^ 船の科学館 南極観測船「宗谷」4月から公開再開”. 毎日新聞 (2017年3月26日). 2018年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月16日閲覧。
  256. ^ 船の科学館:南極観測船「宗谷」に満船飾 進水80年で”. ニフティニュース(毎日新聞より転載) (2018年2月16日). 2018年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月16日閲覧。
  257. ^ “宗谷”生誕80周年記念「オリジナルキーホルダー」を個数限定(80個)で制作しました。”. 船の科学館 (2018年11月3日). 2020年7月2日閲覧。
  258. ^ 『船艇航空機整備の歩み』256頁
  259. ^ 『船艇航空機整備の歩み』259頁
  260. ^ 大野 2009, p. 462.
  261. ^ ジャーナリストとして歩んだ道 柴田鉄治 第6回■南極帰りのタロと観測船「宗谷」 朝日新聞北海道旧友会会報 2015年3月21日閲覧
  262. ^ funenokagakukanのツイート(1395584155254202374)


「宗谷 (船)」の続きの解説一覧




宗谷 (船)と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宗谷 (船)」の関連用語

宗谷 (船)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宗谷 (船)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宗谷 (船) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS