部隊配備とラバウル進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 03:23 UTC 版)
「天山 (航空機)」の記事における「部隊配備とラバウル進出」の解説
正式採用直前の昭和18年(1943年)7月、開隊直後の第五三一航空隊にB6N1が初めて配備された。同年8月にB6N1は天山一一型として制式採用され、11月半ばに同隊の一一型12機がラバウルのカビエンに進出、第五八二航空隊に編入された。翌月の第6次ブーゲンビル島沖航空戦に初めて実戦投入され、一一型6機が九七式艦攻5機と共に米機動艦隊に対して夜間雷撃を行い、第五八二航空隊艦爆隊、陸攻隊と共同で空母3隻、戦艦及び重巡各1隻撃沈といった戦果を報じている。この戦果により天山を開発した中島飛行機は海軍から表彰されたが、米海軍の記録によるとこの戦闘における沈没艦はなく、現在ではほとんどが夜間故の誤認と考えられている。昭和19年(1944年)2月17~18日のトラック島空襲後の索敵や同年6~7月のマリアナ諸島攻防戦にも投入されたが、これといった戦果を挙げることはできなかった。
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