部隊配備と記録への挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 08:45 UTC 版)
「B-58 (航空機)」の記事における「部隊配備と記録への挑戦」の解説
B-58は1960年8月に部隊への配属が開始、1962年10月までに合計86機のB-58Aが生産され、実戦配備された(他に、テスト用のRB-58Bから11機がB-58A仕様に改造された)。 B-58は部隊配属直後から様々な記録飛行に挑戦を開始する。1961年1月12日に2,000km周回コースでペイロード1,000kgおよび2,000kg搭載状態での平均速度記録1,708.75km/hを樹立したのを皮切りに、同日に1,000km周回、ペイロード1,000kgおよび2,000kg搭載状態、14日には1,000km周回、ペイロード1,000kg,2,000kg搭載、および無搭載状態での平均速度記録を樹立し、それまでソビエトが保持していた最高記録をもぎ取った。さらに、翌1962年5月には北米大陸往復飛行に挑戦。復路のニューヨーク-ロサンゼルス間の飛行では、史上初めて地球の自転速度を超え、「西に沈む太陽を追い越して」飛行した。 1963年10月には沖縄の嘉手納基地から、イギリスのグリーンナムコモン基地まで、5回の空中給油を受けながら飛行し、途中、東京-ロンドン間の平均速度記録を樹立した。これは記録飛行であると同時に、北極越えの大圏コースを飛行し、数度の空中給油を手際よくこなすなど、戦略爆撃機としての実戦能力を示すデモフライトでもあった。このようにB-58の数々の記録への挑戦は、新型爆撃機の性能を誇示する機会ともなった。
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