部隊配備の開始
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空軍警備隊では、航空機への被害を抑えるという観点から、フルサイズの小銃ではなくM2カービンを使用しており、これを代替する軽量小型のカービンを模索していた。1960年7月、AR-15を試射した空軍のカーチス・ルメイ将軍は、この小銃をM2カービンの後継として推薦することにした。 1960年11月、空軍による評価試験が承認された。1961年、ルメイ将軍は空軍へのAR-15小銃8万丁の調達を申請したが、旧式とはいえ十分な数のM2カービンを保有しているうえに、陸軍・海兵隊へのM14小銃の調達が進んでいたことから、これに加えて新しい小銃を導入することには抵抗が強かった。このことから、まず東南アジアに駐留する部隊に限定的に導入されることになり、1961年9月、8,500丁の導入が承認された。また南ベトナム米軍事援助顧問団(MAAG-V)でも、M1小銃よりベトナム人の体格に適合し、M2カービンより威力に優れることを評価して、1,000丁を調達した。 1962年1月、AR-15はM16としてアメリカ空軍に採用され、空軍は再度8万丁の調達を申請した。当時呈されていた疑義に対して空軍が真摯に対応したことから、議会は今度はこの予算を認可した。また同時期にNavy SEALsも172丁を試験調達して好評価を与えた。陸軍は、1962年よりフレシェット弾を使用する新型歩兵火器(SPIW)の開発に着手していたことから、これと競合すると見込まれたAR-15の調達には慎重な立場を採っていたが、1963年には、SPIWの配備までの暫定策としてAR-15を導入することになり、5月よりXM16E1の部隊配備を開始した。
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