「死の騎行(Death ride)」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 01:37 UTC 版)
「ユトランド沖海戦」の記事における「「死の騎行(Death ride)」」の解説
グットイナフ代将の第2軽巡洋艦部隊は接触を続けるため、大洋艦隊からの砲撃を回避しながら19時過ぎに再び接近した。18時55分、シェアは第2偵察群の報告からジェリコーの艦隊の位置を予測し、その戦列の後方を横切りながら一気に東へ突破しようとした。ところがシェアの受けた報告は全て誤っており、ジェリコーの位置はそれよりもずっと北だった。この過誤により今度こそ大洋艦隊は壊滅すると思われた。しかし過誤に気づいたシェアはすぐさま正しい決断をし、19時13分、偵察部隊を率いるヒッパーに対して敵戦列への突入を指示した。 大破・落伍した旗艦リュッツオウから、デアフリンガーに移乗していたヒッパーも、シェアの命令を正確に理解した。ヒッパーは既に大損害を受けていた偵察部隊(落伍しているリュッツオウを除く、巡洋戦艦4隻ほか)を率いてイギリス艦隊に突入した。後に言われるドイツ偵察部隊の「死の騎行」(Death ride)である。偵察部隊の巡洋戦艦4隻は、「死の騎行」による10分間の砲戦によって、モルトケ1隻を除いて浮かぶ鉄屑と化したが、沈没艦・落伍艦を出さずに戦列を維持した。さらに、偵察部隊に属する独第6・第9水雷戦隊が、19時15分から数波に分けてイギリス艦隊を雷撃、遠距離雷撃で命中は期待できなかったものの、ジェリコーの英戦艦部隊に回避運動を強いて、シェアの主力部隊が戦場を離脱する時間を稼いだ。 ヒッパー率いる偵察部隊の奮戦により、シェアの主力部隊は敵前での困難な右一斉回頭を成功させ、19時35分までに敵の砲火から脱した。しかし大洋艦隊はまだ安全ではなかった。ビーティー率いる巡洋戦艦部隊がヒッパーの「死の騎行」にも遭遇せず、大洋艦隊を猛追してきたからである。
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