「死刑」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 18:11 UTC 版)
1月17日 - 朝から午後にかけ、Fへの総括要求についての話続く。夕方、坂東・Fと植垣・cが山岳調査から帰還。森、坂東にFが逃げようとしなかったかを聞き、Fを総括できなければ死刑もやむを得ないというぐらい厳しく追及することでCC内で意思一致していることを告げるが、実際はCC内でのそうした合意はなされていなかったという。森、Fが森に促されて語った総括を批判し、追及を開始。F、追及への答えの中で「(永田や坂口が)逮捕されればよいと思った」と答え、これに永田と吉野が怒り、吉野がFを殴る。森、Fを「常に自分が指導者になることを考え、CC内の人間を競争相手として見ていたんやろう」と批判し、指導部メンバーへの人物評を要求。F、各メンバーの人物評を語る。批評された者は「これらの評価が一面で当たっていた」ためこれに反発せず。F、総括のために「殴ってほしい」と発言。森、Fの指示で殴ることを拒否。永田、Fを全体で追及することを提起し、植垣に他メンバーを起こすよう指示。 1月18日午前1時頃、被指導部集まる。永田がFの過去の言動の問題点を明らかにしたが、被指導部メンバーは黙っていた。吉野が永田に補足したが黙っていた。「被指導部の者にとって、F氏の指導も私(引用者注・永田)たちの指導も同じものだったからである」。最終的に坂東がかつてFが永田や坂口をおしのけようとしたり、「敵」に売ろうとしたことを大声で指摘したことにより全員での追及が始まる。全員によるFへの追及の中で、Fへの殴打始まる。追及の中でFは坂東との山岳調査の際に坂東を殺して逃亡しようと考えていたが坂東に隙がなかったからできなかったと答える。実際はFと坂東の山岳調査の際、Fが眠れずにいた傍らで坂東は眠り、翌朝になってから坂東はFに起こされているため、実際には「坂東を殺す隙」はあり、この発言に坂東は違和感を持ったがこのことを誰にも言わなかったという。森がFに組織を乗っ取った後どうするつもりだったかを問うと、Fは「商社から金を取るつもりだった」「宮殿をつくって、女を沢山はべらかせて王様のような生活をするつもりだった」と答えた。森に「今まで女性同志にそうしたことがあるんか」と問われたFは「そうしたことはないが、いろいろな女性と寝ることを夢想する」と答え、さらに森に具体名を聞かれてFがGの名を挙げるとGはFを殴った 。Fは森に促されてH、d、f、gら女性メンバーの名を挙げた。永田が「わたしはどうなのさ」と尋ねるとFは「あんたは関係ない。殺すことになっているから」と答えた。森は1969年9月に革命左派が愛知外相訪米阻止闘争として羽田空港の滑走路や米ソ大使館に火炎瓶を投擲し坂口・吉野らとともにFも逮捕された際にFに対してのみ執行猶予がついたことを挙げて、Fに「権力」との関係を追及するがFはこれを否定。森、Fの足をナイフで刺し、永田とともに「権力」との関係を再度追及。F、これを再度否定。森はFの行為を「反革命」と断じ、Fに対し「死刑」を宣告。森はFに対し「おまえのような奴はスターリンと同じだ」と言い、森が「最後に言うことはないか」と問うと、Fは「革命戦士になりたかった」と答えた。森がアイスピックでFの胸を刺すがFは絶命せず。他何人かがアイスピックでFを刺すがFは絶命せず。坂口、Fの首を締めるよう指示。午前7時頃、Fが絶命。7人目の犠牲者。 1月18日 - 朝食後、中央委員会。森、F処刑を「テロリズムとの闘い」とし、Fを刺した坂東・植垣・aを評価。森、スターリンを批判し、Fとスターリンが同じであるとする。永田・坂口・吉野、これに同意も反対もせず。夕食後、会議継続。森、F処刑を「分派主義との闘争」とする。午後9時頃、全体会議。永田、森の指示で森のメモに基づきF処刑の総括を告げる。森、F処刑へのかかわりを発言するよう全体に対し要求。L、元革命左派メンバーの中で唯一スターリン主義に触れる。森、指導部に対しこれまで中国教条主義に基づいた発言しかしてこなかったLがスターリン主義に触れたことを問題視。森、GのF処刑へのかかわりを「女を売り物にする態度」と批判。 森、Fの処刑に消極的だったCを問題視し、Cへの追及を開始。森はCがFの追及の際に避けるような態度をとっていたことに加えて、利害を計算して動いていること、組織関係を利用して異性と関係を持ったことを批判。C、「自分の問題がFと似ていたので、自分も殺されると思った」と発言。森はこの発言を問題視するが、この間にbが東京から帰還したため、Cへの追及を中止。永田がFの「死刑」についてbに説明すると、bは「異議なし」と答えたがFに対して怒るということはなかった。午後、坂東と植垣がCの赤軍派時代の活動への関わり方について「いい子になろうとしている」「失敗の責任を他者のせいにした」「兵站部の女性と関係をもった」ことを批判して総括を要求。Cは自己批判。森は全体会議を打ち切り、C・G・H・植垣に総括要求。 この日頃、名古屋の喫茶店でeがfに逃亡を宣言し立ち去る。最初の離脱者(1972年3月出頭)。 1月19日 - 午前中、中央委員会。森、Cを中央委員会に呼び出し追及。午後1時頃、fが帰還、Cはeがいないことに対して「逃げたな」と発言。森は「Cがとっさに『逃げたな』といったのは、自分が不断に逃げることを考えているからだ」としてCに正座を指示しa・bに見張りをさせる。 fがmとは連絡が取れなかったこと、eが逃亡したことを報告。eを「若い時の自分に似ている」と言って高く評価していた森は、「驚いた」「考えられない」と言ったあと、「もっとよく人を見なければならない」と発言。さらに森はeの脱走により「逮捕されれば死刑になる」と発言。永田がベースの移動の必要性について問うと、森はeを「(引用者注・警察に)行けば自分も殺人罪で処罰されることを考える奴」として、eが警察に自首する可能性を否定。ここでの「逮捕されれば死刑になる」という発言や「殺人罪で処罰される」という発言に関して、森の「敗北死」という「論理」を信じて「『殺した』とは思っていなかった」永田は森の発言が「あまりピンとこなかった」という。 この頃、ラジオで元坂東隊メンバーのo(Bの元恋人)の逮捕が伝わり、坂東隊がかつて高崎にアジトを設置していたことからベース移動の必要性が確認され、移動先は植垣の報告から迦葉山(群馬県)方面とする(迦葉ベース)。C、この頃までに髪を切られ縛られる。Cの髪を切ったaは「総括しろよな」と声をかけた。森は永田に「ベースを移動する時、Cを連れて行けないのではないか。決意すべきだ」としてCを処刑することを示唆。「ベースの移動の都合で死刑にするのはあまりに安易すぎる」と考えた永田はCにニセ死刑宣告を行い様子を見ること(ナイフを突きつけ「死刑だ」と言って、それに対する反応を見て移動する時につれていけるかを判断するというもの)を森に提起し 、森は賛成、中央委員会でも承認。森、Cに「死刑」を宣告し、森・坂東・吉野・坂口の4人でCを取り囲み、Cにナイフを突きつける。Cの背後に回り左肩と左腕を押さえていた坂口は「あまりにも残酷なので」力を抜いてCに芝居であることを暗に知らせたという。森、Cに対して「先の七名のような道を拒否して、革命戦士として生き抜くことが必要だ」と発言、Cは「僕はFと同様の処分を受けて当然だが、今は革命戦士になりきって生きていきたい」と答えた。森、Cを縛るよう命じ、移動する時に連れて行けるかは今後の様子を見てから決めることを中央委員会で確認。 森、Aにhと共にjのオルグ等のための上京を指示し、二人は夕方出発。深夜1時頃、坂口・坂東・吉野・植垣、L運転の車でFの遺体を埋めに行く。 1月20日 - 早朝、坂口らが帰還。 昼頃、森、永田に対し「何かもう安心した様な感じで深刻な総括を要求されているという態度ではなく」なっていたCを批判。中央委員会において森、Cの足にアイスピックを刺し総括要求することを提起。永田・坂口、同意し、森の「Fの時刺さなかった奴がいる」との発言を受けて、坂口がアイスピックで刺すことを名乗り出る。森、Cへの追及を開始。CはaがCの髪を切る際に「総括しろよな」と優しく声をかけたことから「aが逃してくれると思った」と発言。これを聞いたaは「自分の弱さを暴露されたようで腹が立ち」Cを数発殴った。坂口、Cの足にアイスピックを刺す。後に他のメンバーも追及に加わる。森、Cに対しメンバーの人物評を要求。人物評をされた者はこれに反発せず。多くのメンバーが逮捕後の取り調べでCのこの人物評を「実に的確に言い当てていた」と述べていたという。森、Cへの殴打を開始し、他の者も続く。追及の中でCはベース移動の際に車から逃げ出し警察に逃げ込もうと思ったこと、これまでの7名の死に関しては自分は縛られていたので関わっていないと言おうと思ったことを話す。森、これを受けてCへの死刑を宣告。森が「言い残すことはないか」と問うと、Cは「革命戦士として死にたかった」と答え、森が「本当にそうか」と改めて問うと、Cは「死にたくない」と答えた。これに森は「駄目だ」と答え、アイスピックでCの胸を刺す 。坂東・植垣もこれに続いてCをアイスピックで刺すがCは絶命せず。さらに植垣とaがナイフでCを刺したがCは絶命せず。坂口、Cの首を締めるよう指示し、吉野・坂東・L・bら、Cの首をロープで締め、Cが絶命。8人目の犠牲者。中央委員会で森はC死刑を総括し、Cがこれまでの7名の死を「殺された」と解釈していたことと「人の弱みを利用して権力闘争を行なっていた」点を挙げて、Fの問題とCの問題が同質であることを強調。森は「共産主義化」の闘いは6名の死で終わったものではなく、「高次の地平で永続されていく」ものとした。坂口はこのCの「処刑」に大きく関与したことをきっかけに「もはや総括に対して、これまでの逡巡した態度をとることは許されない」と考えるようになり、意識的に森の「理論」に迎合し、下部メンバーに対して厳しく接するようになったという。
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