「共産主義化」とは? わかりやすく解説

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「共産主義化」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 18:11 UTC 版)

山岳ベース事件」の記事における「「共産主義化」」の解説

本事件において当事者たちが異口同音証言するキーワードとして「共産主義化」がある。本事件における実質的な主導者であった連合赤軍最高幹部森恒夫は、「銃による殲滅戦」(警官殺害・銃の強奪目的とした交番襲撃)の遂行のため、「革命戦士共産主義化」の必要性説いた。「革命戦士共産主義化」とは、赤軍派において1969年大菩薩峠事件における大量逮捕からの自供によるさらなる逮捕者が発生したことの総括として提示されいたものであった大菩薩峠事件当時赤軍派在籍していた当事者でもあった重信房子大菩薩峠事件による大量逮捕により「共産主義化」が求められるようになった経緯について以下のように振り返っている。 赤軍派は「闘うこと」に純化して準備なく闘い権力弾圧さらされた。当初から指導していた人たちがつぎつぎと逮捕され軍事一面化していくことで、戦闘団化し権力集中的な弾圧の中で解体していく根拠を、当初から形成していくことになったこれまでブントは「党」というよりも良くも悪くも学生運動の「大衆闘争指導機関」の実態でしかなかった。しかしその実態を自覚し大衆的ラジカル多様な運動求める道をとらなかった。武装闘争担い権力との攻防先鋭化てはじめて、組織の質が問われのである思想的にも物質的にも、敵に打ち勝つ組織をどうつくるのか。それが、のちに赤軍派から「共産主義化」として連合赤軍引き継がれる内容でもあったと思う。 その時問われた「共産主義化」の実践のために革命左派赤軍派との合流前から自然発生的に行っていた「自己批判-相互批判」の討論形式取り入れたのだという。 の「共産主義化」形成イメージ新倉ベース自身語った説明によれば以下のようになるという。 一二一八赤塚交番襲撃闘争一九七〇年)は、敵との政治的な攻防関係が”殺すか殺されるか”にあることを突き出すとともに殲滅戦勝利するためには、まず銃による武装を勝ちとらなければならないことを明らかにした。二・一真岡奪取闘争一九一年)は、この一二一八闘争実践的総括として闘われたが、それによって、奪取された銃は、敵の集中的弾圧引き出し、”殺すか殺されるか”の戦争状態を形成し奪取した銃を守る闘い要求した革命左派山岳への撤退通して、銃を守る闘い挑戦してきた。 銃奪取闘争実践的総括は銃による殲滅戦であるから、それは銃を握る主体革命戦士化、即ち共産主義化要求する革命左派は、山岳ベースでの自己批判相互批判討論組織して、この課題挑戦してきた。即ち、共産主義化萌芽闘いとってきた。 奪取した銃による殲滅戦は、その繰り返しによって味方武装発展させ、団結強化する。それはやがてプロレタリアート独裁樹立するであろうそれゆえに銃から国家権力生まれるのだ。 — 、 後に連合赤軍幹部吉野雅邦が言うところの「共産主義化」された兵士像を、「警官狙撃何のためらい畏怖感もなく、欲求として実行でき、非情な殺人者となり、自らの死を恐れず、どんな苦難苦境にも平然と耐え、乗り越え、全感情革命戦争遂行勝利服属させ、一切の非革命的心情払拭しきった悟り』に達した戦闘員といったもの」であった推測している。 事件直後書いた自己批判書」において、「共産主義化」のための総括要求論理を、 短期間個々人内在的総括をなし切らねばならない 暴力による指導暴力による同志援助が必要である 総括し切れない者には、命がけ状況ロープ縛りつけ、食事与えない)を強要して総括させ、決し甘やかしてはいけない 縛られた者は、たとえ片腕を失くしても革命戦士になろうとする気概をもって総括すべきである 縛られた者が総括し切るという事は0から100への一挙的な飛躍である といった論理次々と作られていったとしているが、準ずる形で事件主導していた永田洋子はじめとして多くメンバー理論正確に理解できないまま事件に関わっていたことが彼らの手記から窺える連合赤軍幹部坂口弘は「君の共産主義化観念は、固定しておらず、総括進行に伴い、さらに過激化ていったため、一度総括認められれば、それで完了というようなものではなかった」とし、「終わりなき思想闘争、または思想改造であった」と回想している。また、坂口控訴審供述前にの「自己批判書」や遺書分析するまで「共産主義化とはそもそも何なのか。実は、こんな初歩的問題ですら、事件から十二年も経つのに不明だったのである」と記し永田も「『共産主義化』という最も肝心な問題一つとっても、その必要性強調されながら、一体それは何なのかを論じ合ったことは一度もなかった」と記している。総括要求されメンバー中には永田指導部メンバー総括要求され当人すら何が問題とされているか分からない者もいたという。 坂口事件当時の「認識」を以下のように解釈している。 総括統一的連続的に捉えていた彼は、極左絶対論理をつくる過程登場し連合赤軍敵対する見なした人達に行使する宣言した暴力を、総括対象者に向け具体的に行使した。だが、この暴力仲間総括促す手段であって敵対分子対す制裁ではないと、彼は認識していた。君の際立った特徴は、行為認識がつねに一致しておらず、分裂していたことである。(中略)彼は、自分行為によってもたらされ客観的現実に己の認識合わせるではなく反対に己の認識客観的現実合わせようとした。共産主義化凝り固まった彼によれば、殴っても”援助”なのであり、殺害して相手の”敗北死”なのである。そして、”私憤”で殴ったり、”反革命分子の死”だとか”殺した”とか言った者は、総括趣旨歪めた見なし摘発して総括にかけずにおれなかった。(中略極論すれば山岳ベース事件は、森恒夫観念世界の中で起きた出来事なのであった。 — 坂口連合赤軍指導部加藤倫教は後に総括討論様子をこう振り返っている。 物言えばやられるのだが、物を言わないわけにはいかない。それもどのように言えば永田認めてもらえるのか、誰にも分からなかった。何が基準なのか分からない総括要求暴力に、永田以外の者は怯えていた。(中略)その恐怖心かろうじて押さえ込んでいたものは、革命実現するためには「銃による殲滅戦」を行なうしかないという信念それだけだった。 — 加藤連合赤軍指導部のbはインタビューにおいてらの追及様子聞かれてこう答えている。 「本人は闘えると思っているからやって来たんだから、『やります』とか答えるんだけど、そんなじゃ総括になってないと言われ続ける。具体的な問題を問うんではなくて、『あのときこう考えただろう』と訊かれて、実際はそうではないのに、何度も問われるうちに、『思ったかもしれない』とポロッと答えたら、『それがおまえの問題だ』と追及される。最終的にやってもないことを問題にされる」 — b、 「連合赤軍事件全体像を残す会」の会員として、事件当事者との交流もある椎野礼仁は「完全な私見」として、事件の原因連合赤軍がたまたま銃を大量に所持していたことを上げている。爆弾が「人が死ぬことの因果関係蓋然的」で「投げれば、必ず人が死ぬわけではない」のに対し、銃は「引き金を引く時、必ず人は死ぬ、あるいは重傷負わせることになる」ため、連合赤軍では「個人個人がその銃を撃つことができるのか」が問われ、それが共産主義化論理相まって悲劇繋がっていったのではないか指摘している。 永田らは裁判においても本事件がただの「リンチ殺人事件」や「内ゲバ事件ではなく、「共産主義化闘争」による「革命運動場上の問題であったことを裁判において訴え続けたが彼らの主張はほとんど認められなかった。 メンバー多く少なくとも事件当時は「銃による殲滅戦」とそのための「共産主義化」の必要性感じていたことが各々の手記から窺える総括対象対す暴行も、「党の方針であるから」、「遅れている」自身克服するため、あるいは「日和ってはいけない」との思いから加担していたという。暴行対す疑問抱いたメンバー少なくなかったようであるが、異議を唱えることに対す恐怖や、「共産主義化というこの論理僕ら突破するものを持っていなかった」(植垣)「よりよい方針出せなかった」(b)ため異議を唱えることができなかったのだという。 連合赤軍幹部坂東國男を含む指導部事件において「動揺」していたことを逮捕後の各々の手記で知ったといい、永田自著十六墓標』で書いている「動揺」は事件時には気づかず、周囲には「動揺しない感情のない鬼ババア」にしか見えなかったとし、「動揺」していた坂東自身もまた周囲には「鬼のように冷酷」に見えていただろうとしている。その上で全員が「動揺」していたのだから、誤り修正する真の革命勇気」が必要であったとする。それができなかった原因に「指導者優れてなければならない」という論理虚勢を生み、本音隠し建前横行し失敗他者総括対象者)のせいにしていったことを上げている。 bは、指導部におけるへの反論可能性について問われ、こう答えている。 「言えたのは、赤軍幹部だったAぐらいだろうけど、彼は山に入る前のところで、一度組織離れている。だから、それをから突かれるんだよね。坂口も『おかしい』と態度では示しているんだけど、どこがおかしいのか言葉にはできない。Aは言えるんだけど、日和っていた弱み持っている。もともとは、とAだと、Aのほうが赤軍組織のなかでは上にいたんだけど、組織大変なときに長期休暇とっていもんだから立場弱くなっていた。吉野は、行動力があって頑張るんだけど、論理足りないというか坂東は、用心棒みたいなやつだったし」 — b、 自死直前にはこの「共産主義化要求自体を「ぼくの小ブル人生観恣意的作り上げたものへの帰依要求」であり、「他の同志階級性解体強要であったとして自己批判している。「総括」を要求されたのは、自身築き上げた極左路線」「『銃—共産主義化』論」「独裁制」に疑問反対した者であり、「過去闘争評価等をも含めてぼくの価値観への完全な同化強要」した結果に「粛清」があったとしている。

※この「「共産主義化」」の解説は、「山岳ベース事件」の解説の一部です。
「「共産主義化」」を含む「山岳ベース事件」の記事については、「山岳ベース事件」の概要を参照ください。

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