「総括」要求の開始とは? わかりやすく解説

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「総括」要求の開始

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 18:11 UTC 版)

山岳ベース事件」の記事における「「総括」要求の開始」の解説

12月2日 - 革命左派軍事訓練参加組が新倉ベースへの山道到着する革命左派の者達が水筒持っていなかったために、出迎えた赤軍派植垣康博ベース水筒依頼した12月3日 - 早朝、植垣が革命左派昼食のための握り飯ベース依頼赤軍派B・C)は午前中に水筒届けに来たが、水筒用意していなかった革命左派批判した水筒問題)。昼に握り飯届けに来た赤軍派(a)も、水筒問題革命左派批判するこうした赤軍派メンバーによる相次ぐ水筒問題への批判指示よるものだったという。革命左派午後に新倉ベース到着するが、出迎えたらは水筒問題革命左派批判永田水筒問題について自己批判を行う。 夕食後に赤軍派9名(森・坂東・A・植垣・a・B・C・D女性メンバー)・E)、革命左派9名(永田坂口・F・吉野G・H・bc・e)による顔合わせ全体会議が行われた。赤軍派の9名は逮捕者除いた同派非合法部の全メンバーA・D・E・a合法部から非合法部に移って間もなかった。革命左派の9名は同派非合法部の選抜メンバー多くメンバー榛名ベース残され、この時はベース建設作業をしていた。 12月4日 - 朝、合同軍事訓練開始永田呼び止め2人会議赤軍派合同軍事訓練参加メンバー全員が「革命戦士として戦っていける」と評価した上で永田革命左派保有していた銃を赤軍派譲渡することを要請永田はこの要請保留し赤軍派女性メンバーDが合法時代と同じ指輪をしていたことを「革命的警戒心足りない」として批判し、Dの革命戦士としての資質疑問投げかける。 夜の全体会議にて赤軍派米子闘争自己批判革命左派にkの脱走是政大量逮捕総括要求した12月5日 - 革命左派にkの脱走是政大量逮捕総括再度要求する永田前日指摘していたにもかかわらずDが指輪をしていたことに気づき、他の革命左派メンバー一緒にDの身なり闘争対す姿勢批判したD問題)。Cが「差し出がましいようですが、何が問題なんですか」と革命左派メンバー尋ねた他、赤軍派メンバー多くにはDの何を問題とされているのかがわからなかったという。最終的に永田赤軍派批判始め、「赤軍派苦労してないのよ」「このままではとても一緒にやっていけない」と言って寝てしまう。 12月6日 - 赤軍派メンバーのみでD問題話し合う。革命左派のD批判赤軍派全体対す批判でもあり、メンバー全体責任持って解決していくこと、D自身もこの批判責任持って応えていく必要があることを主張この中で革命左派ベース脱走したメンバーをすでに殺害している(印旛沼事件)ことを赤軍派メンバー明らかにし、これを踏まえて「山を降りたものは殺す」と宣言革命左派に対して赤軍派革命左派のD批判受け入れ、Dが総括できるまで山から降ろさず、山を降りる者は殺すと確認した表明する。これを受けて永田は「言葉だけではなく必ず総括させてほしい。総括できるまで山から降ろさないでほしいしなるべく早く総括してほしい」と答える 。はここで永田言ったなるべく早く」という言葉重く受け止め以降総括要求において「総括期間は短期間なければならない」と考えようになったとしている。はこれに続いて、「作風規律問題こそ革命戦士共産主義化問題であり、党建設中心的課題」であるとし、「各個々人の革命運動対すかかわりあい方を問題にしなければならない」と表明赤軍派メンバー夕食後にDを、はEを批判12月7日 - 共同軍事訓練最終日全員軍事訓練感想言い感激した意見続き、「全体団結雰囲気盛り上がった」。自身生い立ちから第2次ブントにおける敵前逃亡総括まで長時間渡り語る中で感極まって泣き出しもらい泣きする者も出、坂口も胸を熱くしたというが、永田にはその涙の理由がよくわからなかったといい、坂東泣いて感動するほど団結したとは思え戸惑ったという。永田坂口を除く革命左派メンバー夕方新倉ベースを去る。永田対しBを批判12月8-10日- 森永田坂口赤軍派メンバーに「銃による殲滅戦」のための主体「共産主義化」必要性説く。これを聞いた永田自身革命左派内で掲げていた「銃を軸とした建党建軍武装闘争」をより一層理論化したもの考え対す信頼持ったという。によるBとDとEへの批判続きは3人にの降る屋外での射撃訓練実弾使用せず射撃構えひたすら繰り返すというもの)を命じる。9日に、次回指導部会議赤軍派都内アジトまたは革命左派榛名ベース12月20日開催することが決定される最終的に榛名ベース行われることになった)。永田坂口10日新倉ベース後にするベース後にする際、永田に「意識的な共産主義化獲得の必要」を確認できたことの意義革命左派永田中心に自然発生的とはいえ自己批判相互批判通して「共産主義化」向けた取り組みをしていたことを評価その上で永田を「共産主義者」として評価した永田はこれを好意的に受け入れた12月12日 - (榛名ベース永田坂口榛名ベース帰還永田新倉ベース確認した「共産主義化」重要性革命左派メンバー説明12月14日 - (新倉ベース)Aが上京B・D・EをAの足跡消しに向かわせた後、植垣らにBたちの逃亡警戒必要性説き、彼らのナイフ金銭取り出し弾薬を隠すよう指示。 (榛名ベース18日行われる赤軍派革命左派両派の救対による十二十八柴野春彦虐殺弾劾追悼一周年集会永田らが書いた革命左派アピール文を届けるためGとeが上京12月中旬 - 是政アジト逮捕されI・d釈放される。 (新倉ベースこの間も、B・D・E対す総括討論射撃訓練続けられた。は3人の総括聞き、「総括しつつある」あるいは「総括しうるだろう」と判断して坂東と共に榛名ベースに向かう。榛名ベース出発する際に植垣とaに、Bたちを厳しく監視すること、Dが植垣を「たぶらかして取り入ろうとするかも知れない」から注意することを指示12月17日 - (榛名ベース永田達は18日十二十八柴野春彦虐殺弾劾追悼一周年集会主催者名がこれまでの京浜安保共闘革命戦線ではなく革命左派赤軍派になっている事をKから知り、これを永田ら「軍」に確認せず独断決めた革命左派獄中指導部川島豪ら)を批判十二十八集会にbとfを派遣し先にGとeが提出した革命左派アピール文とは別に「軍」としての発言要求することを決める。 12月20日 - 坂東革命左派との指導部会議のため榛名ベース到着はDらは総括した報告全体での挨拶の中でのJの発言問題視して批判永田とFがJを擁護するが、撤回せず擁護した2人批判したはHを全面評価する一方で、Hを除く革命左派メンバー、特にKを「軍人らしくない」として批判赤軍派評価基準革命左派メンバー評価されたことに反感持った永田は、批判されたKを過去自分自己批判して「頑張っている」と擁護し全面評価されたHを「第三者的に批判するところ」に問題があるとして評価反論した徹夜での会議提起し中国革命戦争史を「共産主義化」観点から理論化してみせた。これを聞いた永田革命左派メンバーよりも毛沢東思想対す理解が深いことに心酔し理論的指導者としてより信頼するようになったという。 12月21日 - 十二十八集会参加していたbとfが帰還し集会での軍としての発言合法部に拒否されたことを報告する。これを聞いた赤軍派救援対策組織であるモップル批判し、「赤軍派革命左派別々に共産主義化を獲ち取るというようにするのではなく、銃と連合赤軍地平で獲ち取っていくべき」と主張。これに共感した永田赤軍派革命左派が「我々になった」と発言しもこれに同意路線問題排除したまま「共産主義化」によって両派が合同する路線定まったこの後雑談の中で、坂東に対して結婚して闘っていくことが指導者として必要なではないか」と発言永田がこれを受けて、「『我々になった』のだから」として坂東革命左派メンバーのfとの結婚提案坂口賛成し勧めた会議後永田はfに坂東との結婚提起。fは他の活動家に好意持っていることを永田明かしたが、その人結婚する意思がないのならと改め坂東との結婚勧めた坂東とfは2人話し合い、この日の夜全体会議の後、坂東により2人結婚することが発表された。 永田は「我々になった」ことを受けて革命左派メンバー指導することを要望しはこれを承諾。「我々になった」ことが公にされた全体会議において各自発言する中でJが「2人の時(印旛沼事件において脱走メンバー2名を殺害したこと)にいてよかった」と発言しはJに対して「そんなこと言っていいのか」とその場批判。この時、印旛沼事件に関して実行メンバー幹部を除く大半革命左派メンバー事件存在すら知らなかった夜にIとeが榛名ベース到着G・e連名書きI・dその内容同意したとする永田革命左派獄外指導部対する「意見書」を永田らに提出。「意見書」は「十二十八集会主催を『革命左派赤軍派』としたことは死亡した柴野春彦革命左派メンバーであったから当然であること」、「獄内指導部川島ら)・合法部・非合法部(永田坂口ら)は互いに連携深めるべきであること」「十二十八集会発言拒否されたbとfが合法に対して分派活動だ』と言ったことを自己批判すべきであること」を主張したものであったが、即座に永田批判され、Iとeは意見書について自己批判をする。 Lが妻(以下h)と子供乳児)を連れ榛名ベース到着するが、Lは自分一人判断妻と子供連れてきたことを自己批判永田は、Iが取り調べ中に雑談したこと、Kが警察によるベース発見懸念して銃の埋めてある場所の地図を救対に渡したことを聞いて2人批判し、Iに総括要求する。Kが自己批判する。 12月22日 - はIとJが革命左派指導部の歌をリードしているのを問題視してこの歌を批判し、Fが被指導部に歌をやめさせる夜になって、Iは取調べでの雑談自己批判し、追及される。各自総括要求指導部会議森・永田・坂口・坂東・F・吉野23日からAも加わる)は未明前に終了12月23日 - 朝、指導部会議が始まる。夕方、Aが榛名ベース到着指導部会議夕食後に再開され未明近くはIとJを批判して指導部会議終了したこの中では「上からの党建設」を強調赤軍派が「上からの党建設」を追求してきたのに対し革命左派は「下からの党建設」であるが故にその共産主義化闘い自然発生的に留まったとし、「上からの党建設」により共産主義化推し進めることを主張した12月24日 - 昼に始まった指導部会議で、革命左派最高指導者であった川島豪批判その後1969年7月6日起こった第二次ブンド内における赤軍派他派間での内ゲバ事件である「七・六問題」を語る。は「七・六問題そのものではなく自身その時に「戦線逃亡」したことに対す総括語り出し自身が「戦線逃亡」したことを「一から十まで間違ったもの」として総括し、「別党コース」をもっと徹底すれば戦線逃亡」することはなかったとし、「別党コース」の徹底には「共産主義化」観点必要だった語った後、「もう総括できたもんね」と言った永田はこの総括内ゲバ正しいものと位置付けて徹底して行うべきだったとするものであり、暴力的分派闘争強調繋がったとしている。 夜遅く、被指導部がIのリードで歌を歌っているのをが再び問題視し、Fに歌をやめさせるはIとJを改め問題視永田2人討論させて総括深めさせるよう提案すると、はこれに同意した上で2人作業から外し討論させることを決定12月25日 - 指導部会議において川島豪改め批判革命左派結成当時川島と共に指導的立場担い川島による方針過激化と共に1969年末に組織離脱した河北三男に対しては「脚の一本二本へし折るくらいのことをすべきだった」と発言坂口にとっては森の川批判は「デタラメ決めつけ」でしかなく「新党など創れるはずがない」とまで考えていたが、これに反して永田批判迎合していき川島批判しだしたという。 作業から外して討論させていたIとJが「総括する態度ではない」として、2人別々に正座させることを決定それまで2人を「I君」「Jさん」と呼んでいたのをこの時から「I」「J」と呼び捨てにするようになり、次第他のメンバーもこれに倣うようになった。さらには「総括集中させるため」としてIとJに食事与えないことを決定12月26日 - 永田が「自然発生的に共産主義化を獲ち取ってきた」経緯明確にするためとして永田生い立ち尋ねる。永田労働者の娘であったことを共産主義化獲得に結びつけて解釈した指導部会議にて「共産主義化」観点からAがタバコをやめると表明すると、坂口もこれに続く。タバコをやめることが「共産主義化」獲得に必ずしも繋がるとは考えなかった永田が「自発的に行うべき」として自身タバコやめないことを表明するタバコやめない表明自身妻子入山させる意思語り、Aにもこれを要求する。Aは承諾する夕食後、全体会議赤軍派は「上からの党建設」、革命左派は「下からの党建設であったとし、「共産主義化」獲得には「上からの党建設」が必要であることを主張全体会議後、被指導部メンバー就寝指導部メンバー指導部会議移った改め川島批判展開し革命左派川島との訣別分派闘争を迫る。

※この「「総括」要求の開始」の解説は、「山岳ベース事件」の解説の一部です。
「「総括」要求の開始」を含む「山岳ベース事件」の記事については、「山岳ベース事件」の概要を参照ください。

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