D問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 18:11 UTC 版)
多くの当事者の認識として、1971年12月初旬に行われた合同軍事演習における永田ら革命左派メンバーによる赤軍派のD批判が、総括要求の発端と位置付けられている。 合同軍事訓練において永田は森に対してDが合法時代と同じ指輪をしていたことを批判。髪型・装飾品・歩き方など、警察に覚えられやすい特徴は合法活動から非合法活動へ移る際に変えるべきだという主張によるものだった。これに対して森は「女性のことには気がつかなかった」と弁明するが、永田は「そんなの許されない」とし、森は了承した。赤軍派では幹部の夫人は特別扱いされており、Dも当時獄中にいた幹部メンバーと内縁関係にあったため、森もDに指摘できずにいたとされる。 翌日になってもDが指輪をしていたのを見た永田は全体会議の場でDを批判。これに追随する形で他の革命左派メンバーもDを批判しはじめた。 Hやcら革命左派の女性メンバーも山岳ベース入山当時、永田に「あなたたち、なんでそんなに化粧に時間がかかるの?」「あなたたち、化粧を楽しんでいるのよ。自分が(異性の気を惹くように)きれいに見えるようにお化粧しているのよ」と批判されており、革命左派の女性メンバーによるD批判は永田により植えつけられていた「修養的な押し付け」も背景にあったという。 永田は男性中心の非合法活動に関わる中で、「女性としての生き方」を否定し、性差を超越し、自由恋愛を批判するに至ったといい、事件中の女性メンバーへの批判や恋愛にまつわるメンバーへの批判もそうした考えに立脚するものであったと主張している。Dも以前は永田と同様の考えで闘争に関わっていたが、女性性を否定することは「中性の怪物」による「人間味のない政治」に繋がると考えるようになり、女性らしく生きる中で人間らしさを見出そうとしていたことを永田は逮捕後に知り、逮捕前の永田自身こそ「中性の怪物」であったと考えたという。 この革命左派メンバーによるD批判は赤軍派メンバーには何が問題とされているのかよくわからなかったといい、革命左派メンバーのeも理解できなかったという。 また、この永田によるD批判は、森が革命左派のkの脱走問題・是政での大量逮捕問題・合同軍事訓練に水筒を持ってこなかったことを追及して合同軍事訓練を赤軍派先導で行おうとしたことに対する「反論」であったと、坂口・植垣・bなど多くのメンバーが位置づけている。裁判判決文においても永田がDの問題を取り上げたことを森の追及に対する「反撃」と表現されている。
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