「共同便所」から「公衆便所」へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 10:00 UTC 版)
「公衆便所 (隠語)」の記事における「「共同便所」から「公衆便所」へ」の解説
1920年代末頃から、「乗合」が娼婦を意味する隠語として広まると同時に、「共同便所」からは娼婦という意味は薄れていった。そして20世紀半ば頃から、「共同便所」という表現は「公衆便所」にとって代わられるようになった。「公衆便所」は「娼婦」ではなく、主に「淫乱女」を指すという単語となった。戦後の新左翼運動の活動家のあいだでも、「公衆便所」が、複数の男子学生と性的関係をもつ女子学生を指す隠語として広く用いられていたという。 1970年には、田中美津が「便所からの解放」という文章を発表している。この文章は、女性の解放を性の対象としての「便所」からの解放でもあると位置づけたもので、早期のウーマンリブ運動において重要な意義を有しているとされる。 2001年の『しんぶん赤旗』の記事では、新しい歴史教科書をつくる会理事の坂本多加雄が『正論』1997年5月号において「トイレの構造の歴史や犯罪の歴史がもっぱら教えられるということになればどうか」と述べ、日本の慰安婦について教科書に書く必要はないと主張したことについて「『従軍慰安婦』が『共同便所』という隠語で呼ばれてきたことを想起」させると批判している。この坂本が用いた表現については、高嶋伸欣や松井やよりも同様に批判している。 コアマガジンの成人向け雑誌『ニャン2倶楽部Z』2007年8月号では、「公衆便所バッジ企画」として「誰でも『ヤラせろ』と声を掛けることができ」る「誰にでもセックスさせる女性=サセ子」を表す「公衆便所バッジ」を配布した。
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