「死の危険」と「持ち場」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 08:19 UTC 版)
「ソクラテスの弁明」の記事における「「死の危険」と「持ち場」」の解説
16. 「新しい弾劾者」(当裁判の告発者)及び「訴状」に対する弁明も終了、総論へ。自身(ソクラテス)や他の善人を滅ぼすのは、メレトスら告発者(新しい弾劾者)ではなく、むしろ大衆の誹謗・猜忌(旧い弾劾者)である。これまでもこれからもそう。それら大衆によって死の危険に晒される営みであっても、人は自身の持ち場を死をも厭わず固守すべき。 17. 自身は従軍した際にも持ち場を固守した。したがって、今も自身が神から受けたと信じる持ち場、愛智者として他者を吟味する持ち場を、死などを恐れて放棄することはできない。それをしてしまうことこそがむしろ、神託の拒否、賢人の装い、神の不信の罪であり、法廷に引き出されるに値する。死が人間にとって何かを知る者などいないのに、死を恐れることも賢人を気取ること。したがって、アニュトスの「ソクラテスを死刑にするか、放免して子弟を一人残らず腐敗させるかの二者択一」という意見はともかく、今回放免と引き換えに姿勢変更を求められたとしても、自身はこれまでの姿勢を変えない。自身は諸君よりも神に従う。そうした人々には「偉大なアテナイ人が蓄財・名声・栄誉ばかりを考え、智見・真理・霊魂を善くすることを考えないのは恥辱と思わないか」と指摘する。自身は「神に対する私のこの奉仕に優るほどの幸福が、この国において諸君に授けられたことはいまだかつてなかった」と信じている。それは身体・財産よりも霊魂の完成を顧み、熱心にすることの勧告、徳からこそ富や善きものが生じることの附言に他ならない。いずれにしても、放免されようがされまいが、自身の姿勢は一切変わらない。
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