「死のう団」結成
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1933年1月、日蓮会の新年会に出席した若者らは、このままではいけないと口々に言い合った。現状への不満を募らせた彼らの出した結論は、「青年部の結成」であった。江川に忠実で、かつ先鋭的であった若年層の面々は、結成が決まると直ちに結盟書を作成し、これに血判を押した。 彼らが行動の柱に据えた「不惜身命(ふしゃくしんみょう。理想実現のために身命を惜しまず。本来は仏教から)」の理念は、しかし時を経るごとに本義から乖離し、死ぬこと自体を目的としたものに変質していく。のちの悲劇の前兆であった。 宣言我が祖国の為めに、死なう!!!我が主義の為めに、死なう!!!我が宗教の為めに、死なう!!!我が盟主の為めに、死なう!!!我が同志の為めに、死なう!!! 日蓮会青年部 (原文ママ) 以上のような宣言を立てた江川と青年会員らは、皆で「死のう、死のう、死のう」と繰り返し叫び、陶酔に浸った。 翌月、青年部は「日蓮会殉教衆青年党」と改称された。同党は、のちに「死のう団」として世間の注目を集めることとなる。
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