第四次攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 10:20 UTC 版)
第一軍の上陸を援護するため旅順港の第四次攻撃が企画された。3月10日の未明、第一駆逐隊が旅順口に進出するとマカロフ中将も駆逐艦6隻を繰り出して海戦となり、沈没艦はなかったが双方に被害が出ていた。続いて旅順口に達した第三駆逐隊もロシアの駆逐艦レシーテリヌイ、水雷艇ステレグーシチイと戦闘となりステレグーシチイを無力化した後に捕獲を試みたがロシア巡洋艦のノヴィークとバヤーンが港外に出動してきたため曳航を諦めて撃沈した。 10時頃より第一戦隊が3隻ずつに分かれて10時8分から12時30分までおよび12時50分から13時46分まで間接射撃を行った。ロシア側は、干潮のため港口を通過できず出撃できなかった。この間接射撃により戦艦レトヴィザンに一発の砲弾が命中しその他の艦船や砲台にも被害が出た。 日本陸軍は予定通り、10日に第1軍主力(近衛師団、第2師団)を平壌近くの鎮南浦へ上陸させ、29日までに完了した。以後、平壌で第12師団と合流して北上を開始したが前進速度と悪路のために補給が困難となり、制海権も確保されていることから3月末には補給ポイントを義州南方・鉄山半島の望東浦および梨花浦に前進させた。
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