第四次戦争 (1377年–1381年)
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「ヴェネツィア・ジェノヴァ戦争」の記事における「第四次戦争 (1377年–1381年)」の解説
「キオッジャ戦争」も参照 1376年、ヴェネツィアはビザンツのヨハネス5世パレオロゴスからダーダネルス海峡近くのテネドス島を獲得し、ジェノヴァの黒海貿易を脅かし始めた。ジェノヴァはヨハネス5世の息子アンドロニコス4世パレオロゴスのクーデタを支持してヨハネス5世を廃位し、その見返りとしてアンドロニコス4世はテネドス島をジェノヴァに与え直そうとしたが、ヴェネツィアが島の返還を拒否したために戦争が勃発した。1377年にテネドス島奪取に失敗したジェノヴァはハンガリー、パドヴァ、オーストリアと対ヴェネツィア包囲網を結成した。ヴェネツィアはジェノヴァ本国に野心を持っていたミラノと、1373年から1374年の戦争でジェノヴァに従属を強いられていたキプロス王国と同盟を結んだ。 1378年、ルチアーノ・ドリア率いるジェノヴァの小艦隊がアドリア海に侵入したが、1379年にプーラでヴェットール・ピサニ率いるヴェネツィア艦隊に撃退された。その後ヴェネツィアはジェノヴァの大艦隊からアドリア海の防衛線を守るのに失敗し、ヴェネツィア本島に連なるラグーンの南端にあたるキオッジャをジェノヴァ・パドヴァ連合軍に占領されるに至った。 しかし1379年12月、地中海から帰還したカーロ・ジーノ率いるヴェネツィアの主力艦隊がジェノヴァの包囲を破り、逆にジェノヴァ艦隊をキオッジャに閉じ込めた。ジェノヴァは援軍を送ったがキオッジの友軍を救出することが出来ず、包囲された連合軍は1280年6月にヴェネツィアに降伏した。 その後ヴェネツィアとジェノヴァは上アドリア海で交戦を続けたが、1381年にサヴォイア公アメデオ6世の仲介でトリノの和約が結ばれた。キオッジャの戦いでの勝利にもかかわらず、ヴェネツィアは経済的に追い詰められており、テネドス島の放棄(軍備解体とサヴォイア公国への割譲)、キプロス島でのジェノヴァの特権の容認、トレヴィーゾのオーストリアへの割譲、ハンガリーへの毎年の貢納といった条件をのまざるを得なかった。ジェノヴァ側からの譲歩はほとんどなかった。
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