境外末社
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東野神社(桑名市東野字鎌堀196番地の1) - 1883年(明治16年)に赤須賀猟師町の二番組が堤上に遷座。1908年(明治41年)に赤須賀神明社に合祀の後、1954年(昭和29年)5月13日に社殿を設立し、東野へ分祀遷御。火産霊社(火産霊神) - 往古より赤須賀神明末社と伝わる。 多度社(天津彦根命) - 1806年(文化3年)に多度大社より勧請。 三輪社(大物主神)
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境外末社
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鷲(おわし)神社 祭神は鷲大明神。検見川町3-341に位置する。 三峯神社 旧称は犬飼神社。検見川町5丁目に位置する。
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境外末社
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朝苧社(あさおしゃ)所在地:名古屋市緑区大高町東姥神(北緯35度3分47.80秒 東経136度55分56.40秒 / 北緯35.0632778度 東経136.9323333度 / 35.0632778; 136.9323333 (境外末社:朝苧社)) 祭神:火上老婆霊(ひかみうばのみたま) 氷上の地主神といわれる。 神明社 玉根社 朝苧社 浜宮跡
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境外末社
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「新田神社 (薩摩川内市)」の記事における「境外末社」の解説
大己貴神社(おおなむぢじんじゃ)祭神:大己貴神 汰宮(すべりのみや)とも称す。往古は薩摩総社の役割を果たしたと伝わる。 九樓神社(くろうじんじゃ)祭神:甕速日神 隣接する守公神社とともに「九樓守公神社」とも称される。 守公神社(しゅこうじんじゃ)祭神:樋速日神 薩摩国総社と伝わる神社で、隣接する九樓神社とともに「九樓守公神社」とも称される。 武内神社(たけうちじんじゃ)祭神:彦太忍信命 かつての宮内麓(郷士の居住地)に鎮座。 大将軍神社(だいしょうぐんじんじゃ)祭神:武甕槌神 五代町に鎮座。室町後期の創建と伝わり、大将軍宮とも称される。 八尾神社(やつのおじんじゃ)祭神:八岐大蛇・八咫鏡 小倉町に鎮座。八王明神とも称される。鏡山神社(祭神・八咫鏡)を合祀。 船間島神社(ふなまじまじんじゃ)祭神:御伴神(十郎大夫) 船間島に鎮座。海神宮とも称される。祭神の十郎大夫は御伴神の1柱で、この地で病死した神であるといわれる。 ※廃絶した境外末社 鏡山神社(かがみやまじんじゃ)祭神:八咫鏡 かつて小倉町に鎮座。伝承では邇邇杵尊が当地の国津神の抵抗にあった際に、八咫鏡を隠した場所と伝わる。後に八尾神社に合祀。
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境外末社
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鳴雷神社 - 祭神:天水分神。式内社。春日山にある。 神野神社 - 祭神:甕速日神、火速日神、崇道盡敬皇帝。春日山にある。 上水谷神社 - 祭神:春日四座、若宮、水谷神、猿田彦神、祓戸神。春日山にある。 大神神社 - 祭神:大物主神。春日山にある。 高山神社 - 祭神:春日四座、若宮、祓戸神、水谷神。春日山にある。 赤乳神社 - 祭神:稚日咩神 白乳神社 - 祭神:志那斗弁神 手力雄神社 - 祭神:天手力雄神 采女神社 - 祭神:采女命。猿沢池の横にある。 野上神社 - 祭神:草野姫命 石荒神社 - 祭神:火産霊神 南市恵毘須神社 - 祭神:事代主命 高天市恵毘須神社 - 祭神:事代主命 初宮神社 - 祭神:宮中八神殿、伊勢神、春日神、住吉神 大福稲荷神社 - 祭神:大福稲荷大神 祓戸神社 一言主神社 金龍神社
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境外末社
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多米神社(御祭神:宇賀魂命(ウガノミタマノミコト)、神稚魂神(カムワカタマノカミ)、保食神(ホグイノカミ)) 延喜式内の古社であり、別名を「苗見神社」「種貸神社」ともいい崇敬された。
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境外末社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 04:20 UTC 版)
御釜神社 詳細は「御釜神社」を参照 東参道(裏参道)入口の鳥居から南に約100m行った塩竈市中心部の商店街にある境外末社(地図)。 「塩竈」と言う地名の由来となった鹽竈神社の神器「神竈」を安置している。 御釜神社 この他に、鹽竈神社の表坂向かい側・融ヶ岡の際には祓戸社(はらえどのやしろ)という小さな石祠が鎮座している。祭神として祓戸四柱大神を祀る社で、昔は祓戸社で身を清めてから鹽竈神社へ参拝したといい、また夏越の大祓の神事がこの石祠の前で行われていたという。現在、夏越と大晦日の大祓式は、志波彦神社の手水舎の南側にある「祓所」前で催行されている。 祓戸社の案内石標 祓戸社の石祠 十四末社 文献によれば鹽竈神社には14の境外末社があるとされる。14と言う社数は同じであるが、文献によって記載されている神社が異なるので、以下の一覧にまとめた。『鹽社由来追考』の説①は、延宝6年(1678年)の春に太守君(この時の仙台藩主は四代綱村)の命により古老に尋ねて記録した、と同書に記載がある。また、説②では神社数は13しかない。社名、鎮座地は『別当法蓮寺記』または記載文献による。◎はその文献で十四末社とされている神社。 社名鎮座地記載文献別当法蓮寺記鹽社由来追考鹽竈社神籍説①説②説③青木明神 宮城郡塩竈村内白坂 ◎ 奏社明神 宮城郡市川村 ◎ ◎ ◎ ◎ 浮島明神 宮城郡浮島村 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 冠川明神 宮城郡岩切村 ◎ ◎ ◎ ◎ 南宮明神 宮城郡南宮村 ◎ ◎ ◎ ◎ 小刀明神 宮城郡澤音村 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 梅宮明神 宮城郡塩竈村内吉津 ◎ ◎ ◎ ◎ 柏木明神 宮城郡笠神村 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 東宮明神 宮城郡東宮濱 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 曲木明神 宮城郡籬島 ◎ ◎ ◎ ◎ 桂島明神 宮城郡桂島 ◎ ◎(松崎明神と記載有) ◎ ◎ 鼻節明神 宮城郡花淵濱 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 赤沼明神 宮城郡塩竈村内白坂 ◎ ◎ ◎ 荒脛巾明神 宮城郡市川村 ◎ ◎ ◎ 吉田明神 宮城郡吉田濱 ◎ ◎ ◎ ◎ 北宮明神 宮城郡春日村 ◎ ◎ ◎ 松島明神 不明 ◎ 大根明神 花淵沖の海中 ◎ ◎ 大臣明神 宮城郡浮島村 ◎ 春日明神 宮城郡春日村 ◎ 志波彦明神 宮城郡春日村 ◎ 1877年(明治10年)3月21日、鹽竈神社と密接不離の関係にあった鼻節神社、冠川神社、伊豆佐比売神社の3社が国幣中社志波彦神社・鹽竈神社の摂社に定められた。 陸奥総社宮(多賀城市) 浮島神社(多賀城市) 梅宮神社(塩竈市) 東宮神社(七ヶ浜町) 冠川神社(西宮神社)(宮城野区岩切) 南宮神社(多賀城市) 北宮神社(利府町・春日神社境内社) 荒脛巾神社(多賀城市) 柏木神社(多賀城市) 鼻節神社(七ヶ浜町) 吉田神社(七ヶ浜町) 春日神社(利府町) 染殿神社(赤沼明神)(利府町) 鼻節神社境内社・大根神社(七ヶ浜町) 浮島神社境内社・大臣宮(大臣明神)
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境外末社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 14:58 UTC 版)
主に茶郷川流域に18末社がある。 土川村(現土川)所謂、天王社 小千谷町(現本町・元町・平成など)二荒社 山王社 赤指社 時水村(現時水)俣倉社 熊野社 石動社 十二社 藪川村(現藪川)宇都宮神社永享10年(1438年)7月19日に西片弥三郎光行が鰐口を寄進(新潟県指定文化財)。 諏訪神社 吉谷村(現吉谷)白山社 五霊社 若宮社 十二社 八幡社 白山社 四ツ子村(現四ツ子)俣倉社 谷内村(現谷内)熊野社
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境外末社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/10 05:52 UTC 版)
「庄内神社 (豊中市)」の記事における「境外末社」の解説
洲到止八幡宮(すどうしはちまんぐう)(大阪府豊中市大島町2丁目6) 祭神:応神天皇・神功皇后 1758年(宝暦8年)石清水八幡宮より勧請。1909年(明治42年)神社合祀令により庄内神社に合祀され、1967年(昭和42年)に庄内神社の末社として造営。 境内末社(洲到止八幡宮内)護国社 稲荷社
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