志波彦神社とは? わかりやすく解説

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しわひこ‐じんじゃ〔しはひこ‐〕【志波彦神社】

読み方:しわひこじんじゃ

宮城県塩竈(しおがま)市にある神社祭神志波彦神。もと宮城郡岩切村にあったが、明治7年(1874)塩竈神社境内移した。→塩竈神社


しわひこじんじゃ 【志波彦神社】


志波彦神社

読み方:シバヒコジンジャ(shibahikojinja)

教団 神社本庁

所在 宮城県塩竈市

祭神 志波彦神

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

志波彦神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 04:20 UTC 版)

鹽竈神社」の記事における「志波彦神社」の解説

志波彦神社は冠川七北田川の別名)河畔降臨されたとする志波彦神を祭る神社である。中世までの詳細な所在地不明だが、東山道から多賀城通じ交通の要所で、軍事的に岩切城などの重要な城がおかれた、宮城郡岩切村現在の仙台市宮城野区岩切)の冠川左岸位置していたと見られる元禄8年1695年)に書かれ縁起によれば天智天皇3年665年)に始めて官幣が使わされたとされ、往古国主重要視した大社として社家7人がいたとする。同縁起では志波彦神由来塩土老翁神のことであり、栗原郡志波姫神社同体であるとしているが、由来について諸説あり、現在のところはっきりとしていない農耕守護殖産国土開発の神と伝えられている。 清和天皇貞観元年859年)に正五位下勳四等から従四位下に神階進め延長5年927年)には『延喜式神名帳』へ名神大として記載されている。 このように朝廷からも崇敬されていたが、中世以降衰微して行く。元禄8年縁起によれば社地百姓耕作によって侵され天正年間には火災により神具縁起などの資料失い延宝3年1675年)の再建時には6尺四方小さな社殿となって岩切村牛頭天王社(現・八坂神社)に合祀された。 明治時代になると、国幣中社に列せられたことを機に大きな社殿造営する機運生じたが、現・八坂神社境内では社地狭かったため鹽竈神社境内遷宮した。現・八坂神社境内旧社殿はそのまま残し、既に遷宮した当社から1877年明治10年3月分霊して「冠川神社」として摂社となった地図)。 冠川神社仙台八坂神社境内明治以降詳細について後述参照

※この「志波彦神社」の解説は、「鹽竈神社」の解説の一部です。
「志波彦神社」を含む「鹽竈神社」の記事については、「鹽竈神社」の概要を参照ください。

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