検見川神社とは? わかりやすく解説

検見川神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/20 06:11 UTC 版)

検見川神社

拝殿
所在地 千葉県千葉市花見川区検見川町1-1
位置 北緯35度39分12.8秒 東経140度3分57.5秒 / 北緯35.653556度 東経140.065972度 / 35.653556; 140.065972座標: 北緯35度39分12.8秒 東経140度3分57.5秒 / 北緯35.653556度 東経140.065972度 / 35.653556; 140.065972
主祭神 素盞嗚尊
宇迦之御魂神
伊弉冉尊
社格 村社
創建 伝・869年貞観11年)
別名 検見川大明神、神祇三社、三社神社、八坂神社
例祭 8月1日-3日(例祭神幸祭)
3月15日(熊野神社例祭)
10月15日(稲荷神社例祭)
地図
検見川神社
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鳥居

検見川神社(けみがわじんじゃ)は、千葉市花見川区にある神社旧社格村社神紋は「五瓜に唐花」と「変わり焔玉」と「九曜」。

祭神

当社の本殿は並列した三社殿からなり、以下の神々が祀られている。

由緒

現在地から北隣の地は「嵯峨」と称され嵯峨天皇ゆかりの地として伝わっており、朝廷と関係のある土地であったと考えられている。貞観11年(869年)に全国で疫病が流行した際にこの嵯峨の地で素盞嗚尊が祀られたのが当社の始まりとされている。

承平年間(931年~938年)、嵯峨天皇にゆかりのある平春靖という人物の子孫が当地周辺を開墾しようとして疫病が流行したところ、嵯峨の地から素盞嗚尊の神鏡が出土し、疫病は土地を無断で犯したことから起きた災いであるという神託があった。承平4年(934年)にお詫びとして社殿を創建し祭祀を営むと災難が終息し無事開墾することができたと伝えられている。

文禄年間(1593年~1596年)、嵯峨の地から現在の花輪台の地に社殿を遷座。元和2年(1616年)、検見川を領有した幕府旗本の金田正明が一族が崇敬していた宇迦之御魂神を、更に寛永年間(1624年1644年)に当地にあった神社(応永16年(1409年)創建)の祭神である伊弉冉尊を合祀した[1][2]

昭和62年(1987年)に「八坂神社」から「検見川神社」へ改称。

末社

境内末社

境外末社

  • 鷲(おわし)神社
祭神は鷲大明神。検見川町3-341に位置する。
  • 三峯神社
旧称は犬飼神社。検見川町5丁目に位置する。

交通アクセス

出典

  1. ^ 検見川神社について”. 検見川神社公式ホームページ. 2020年6月26日閲覧。
  2. ^ 「検見川神社社誌」より。

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 (令和4年8月1日 PR TIMES)

 (令和4年8月5日 マイナビニュース)

 (令和4年8月7日 Yahoo! ニュース)

 (令和4年8月16日 日本経済新聞 電子版)

 (令和4年9月24日 共同通信)

 (令和4年9月24日 産経新聞 電子版)

 (令和4年9月27日 毎日新聞 デジタル)

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