元正帝の縁起
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:39 UTC 版)
多賀社のお守りとして知られるお多賀杓子は、元正天皇の養老年中、多賀社の神官らが帝の病の平癒を祈念して強飯(こわめし)を炊き、シデの木で作った杓子を添えて献上したところ、帝の病が全快したため、霊験あらたかな無病長寿の縁起物として信仰を集めたと伝わる。元正天皇のころは精米技術が未発達で、米飯は粘り気を持つ現代のものとは違い、硬くてパラパラとこぼれるものだったらしく、それをすくい取るためにお多賀杓子のお玉の部分は大きく窪んでいて、また、柄は湾曲していたとのことで、かなり特徴のある形だったという。なお、現代のお多賀杓子はお玉の形をしていない物が多く、今様の米に合わせて平板な物が大半である。このお守りは、実用的な物もあれば飾るための大きな物もある。 なお、多賀社より数キロメートル西にある「飯盛木(いもろ-ぎ)」は、帝の杓子の素となった木の枝を地に差したところ根が生じて大木に育ったものと伝わる。この飯盛木には、男飯盛木と女飯盛木の2本がある。
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