元死刑囚M
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 05:37 UTC 版)
本事件の加害者である死刑囚M・T(本事件当時55歳、以下は姓のイニシャルに基づき「M」と表記)は1930年(昭和5年)4月10日に熊本県飽託郡天明町海路口(現:熊本県熊本市南区海路口町)にて漁師の家に三男として生まれ、1999年(平成11年)9月10日に法務省(法務大臣:陣内孝雄)が発した死刑執行命令により収監先・福岡拘置所で死刑を執行された(69歳没)。 Mが出生した当時の天明町はかなり気性の荒い土地柄の漁師町で、父親は地元で魚介類漁・海苔漁を行っていたが、Mが2歳だった時に漁師同士の些細な喧嘩で相手に千枚通しで刺され死亡した。Mの母親は父親(夫)の死後に別の男性と結婚し、Mと次男(Mの次兄)を残して家を出たため、Mら遺された子供2人はまず父方の祖父母宅に引き取られたが、Mが10歳だった時に祖母が他界したため、さらに父方の叔母(父親の妹)夫妻に引き取られた。叔母夫妻は比較的裕福な家庭で子宝に恵まれなかったこともあり、兄弟に愛情を注いで育てたが、Mは地元の銭塘尋常高等小学校高等科(現:熊本市立銭塘小学校)をわずか1年で中退すると、終戦直前の1945年(昭和20年)5月10日(当時15歳)には傷害事件を起こして逮捕され、同事件で高森簡易裁判所(熊本県阿蘇郡高森町)から罰金1,000円を科された。Mはその後も前科7犯を重ね、同年12月7日には三重県内で傷害・横領事件を起こし、津地方裁判所にて懲役6月の実刑判決を受けた。成年後のMは家を飛び出して定職にも就かず日本全国の工事現場を転々とする生活を送るようになったが、福岡県・兵庫県・三重県・愛知県と就労した行く先々の飯場で傷害沙汰を繰り返し、刑務所で服役しては出所後に再犯して刑務所に逆戻りするような生活へ転落していった。
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