成年後
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1866年、大学時代の友人ジョン・ホワイトリーに招かれイギリスはウェスト・ヨークシャーのリーズに移住し、ホワイトリー家が営む会社ホワイトリー・パートナーズに就職。真鍮製のバルブなどの部品を製造している会社である。1869年、ジョンの妹で才能ある芸術家でもあるエリザベスと結婚。1871年、妻とともに応用芸術の専門学校 (Leeds Technical School of Art) を始め、写真を金属や陶磁器に定着させて着色する技法で知られるようになる。 1881年、ホワイトリー・パートナーズの代理人としてアメリカ合衆国に行った。フランス人芸術家たちの小グループのマネージャとなり、有名な戦のシーンなどを描いた大きなパノラマ (panorama) を制作してニューヨーク、ワシントンD.C.、シカゴで展示会を開催した。このころ既に「動く」写真に関する実験を始めており、フィルムに最適な素材を探していた。 アメリカ滞在中に16個のレンズを使ったカメラを作り、自身初の特許を取得した。これは動きを捉えることができるカメラだったが、16個のレンズが4×4の形で並んでいて連続的にシャッターを切ることで動画を撮影する方式であり、視点が移動するため映像は滑らかではなかった。 1887年5月にリーズに戻ると、単レンズカメラを作り特許を出願。1888年10月14日に撮影した作品が「ラウンドヘイの庭の場面」であり、世界初の映画と言われている。その後、リーズ橋での路面電車や馬車や歩行者が行き交う様子を撮影している。これらの映画はリーズでスクリーン上に映写され、それが世界初の映画上映となった。
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