朽木綱方とは? わかりやすく解説

朽木綱方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/12 08:57 UTC 版)

 
朽木綱方
時代 江戸時代後期
生誕 天明6年12月26日1787年2月13日
死没 天保9年2月27日1838年3月22日
改名 肥後太郎(幼名)、綱方、和竜(法号)
戒名 泰雲院殿寿山椿齢大居士
墓所 東京都港区高輪泉岳寺
官位 従五位下土佐守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
丹波福知山藩
氏族 朽木氏
父母 朽木昌綱朽木倫綱
兄弟 唯之助、綱方米倉昌寿、福寿太郎
松平資承の娘
健、綱紀
綱条
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朽木 綱方(くつき つなかた)は、丹波国福知山藩10代藩主。福知山藩朽木家11代。

略歴

天明6年(1786年)12月26日、8代藩主朽木昌綱の次男として生まれる。寛政10年(1798年)8月20日、9代藩主朽木倫綱の養子となる。享和3年(1803年)閏1月12日、倫綱の死去により家督を継ぐ。しかし若年により、しばらくは縁戚(5代藩主玄綱の八男)である松平乗保の後見を受けた。同年9月15日、11代将軍徳川家斉に拝謁する。文化元年(1804年)12月16日、従五位下・土佐守に叙任する。文化7年(1810年)2月2日、大坂加番を命じられる。文化14年(1817年)2月2日、また大坂加番を命じられる。

綱方の治世は文化4年(1807年)に大火が起こるなど、相次ぐ災害で藩財政が悪化していった。このような多難な中で政務への関心を失った綱方は、文政3年(1820年)6月6日に家督を養子(倫綱の実子)の綱条に譲って隠居し、以後はその後見を務めた。

天保9年(1838年)2月27日に死去した。享年53。

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