財政の悪化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 04:21 UTC 版)
当時、国家財政は急激に悪化していた。収入面では余剰生産が寄生地主・富農の手にとどまって国家まで上がってこなかったこと、支出面では価格革命による物価の上昇および戦費がかさんだことがそれぞれ原因だった。代々の王は王領地を売却することで当座をしのいできたが、すでに王領地はヘンリー8世時代の半分以下にまで目減りしていた。結果として王室は議会の承認する税収への依存を強める一方で、中世以来の国王大権に基づいた徴発権・後見権・関税の徴収強化に乗り出して王権に基づいた財政基盤強化にも乗り出していた。これが農民のみならず、貴族や商人階層の不満をも高める結果となった。 特にスコットランド王ジェームズ6世がイングランド国王(ジェームズ1世)に迎えられてステュアート朝が始まると、財政の膨張に拍車がかかる様になり、国王からの議会に対する予算の要求が増加していった。これを危惧する廷臣グループから1610年に「大契約」と呼ばれる仲裁案が国王と議会に出されたものの結局は失敗に終わり、それ以後も財政悪化が益々深刻化する中でジェームズ1世の息子チャールズ1世が王位を継ぐ事になったのである。 こうした情勢にもチャールズ1世は王権神授説を捨てず、議会に対して予算を要求するのみだった。一方で議員達にとっての議会とは、地元の陳情を処理する場であった。両者の関係は次第に離れてゆき、1628年6月の「権利の請願」提出を経て1629年に、議会は解散を命じられた。
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財政の悪化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 16:07 UTC 版)
オイルショック以降、イギリスでは経済成長率が低下し、税金収入が減少していき、財政赤字は増加して、国債の累積残高が増加し続けていった。為替レートにおけるドル高ポンド安を防ぐ為、為替介入を実施した結果、1976年には外貨準備不足に陥り、国際通貨基金から融資を受けることとなり、英国は事実上の財政破綻状態となった。融資の条件としてIMFより財政赤字削減を指示された為、英国政府は財政支出の削減を余儀なくされ、公務員の給与抑制が課題となった。また、社会保障制度を維持しようと歳入増を試みるようになった。
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財政の悪化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 08:47 UTC 版)
趣味や風雅は金がかかるものである。相続時にも藩主が率先して、前述のような派手な振る舞いを挙行していたが、その裏で藩財政は極めて悪化していた。前代から続く凶作や治世中の天災のために藩収入は減少しつつあり、急場をしのぐためにも弘前藩は家臣の給与をそれまでの俸禄制から知行制へと、むしろ古式に変更している。 これは、「土地から100の収入を藩がまとめて得て、それを藩士10人に10ずつ払う場合、もしもその年の収入が90しかなかった場合は藩が不足分10を補充した上で10ずつ分配せねばならない。だが最初から「10の収入が見込める土地」を与えておけば、その年の収入が9(全体で90)であったとしても、それは各藩士が1ずつ不足するだけであり、藩財政は痛くない。負担は藩士各自に。」という仕組みである。 また倹約令を発布する傍ら、藩士の給与を一律1割カット、さらには大量リストラを断行している。領民に対しては年貢率のアップを行い、豪商、豪農には御用金や御用米をも命じている。この状況の中、領内にいても温泉巡りや別邸での大宴会を楽しみ、江戸出府中の交際費も増加する一方であり、また遊興費もかさむ一方であったが、家臣団をも引き連れての吉原遊びをやめることはなかった。 当初、藩財政をみていたのは先代からの武田定清であったが、徹底した倹約と検地による徴税強化で藩内の恨みを買っているとみるや、信寿は無理やり武田に切腹を命じた。代わってイエスマン的家臣を重用し、特に佐藤著恒は信寿に重用され、江戸の屋敷に池を造り、「敷地内に隅田川と直結する池を作って、池から直接舟を仕立てて信寿一行と共に吉原に通う」などの遊びをプロデュースし、主の歓心を買うことに精を出した。 これら遊興費のため藩の借金が増えると、佐藤は国許に帰っては借金返済の金策を行った。前述の豪農や豪商に御用金・御用米は、実はこれに充てられた。これらの行動は、質素倹約を旨として享保の改革を推し進める将軍・徳川吉宗の耳に入ることになる。
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