「権利の請願」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 16:51 UTC 版)
「ジョージ・ヴィリアーズ (初代バッキンガム公)」の記事における「「権利の請願」」の解説
財政は苦しくなる一方で1627年末にはこれ以上の戦争継続が困難となった。政府は王領地を売却して債務を整理しつつ、強制借用金徴収と軍隊宿泊強制で乗り切ろうとしたが、この処置は「議会の同意のない私有財産権侵害」と批判されて反対運動を巻き起こし、議会の招集が求められた。 その間もラ・ロシェルのユグノーは危機的状況に陥っており、イングランドの大規模な援軍がなければ崩壊は避けられない状況だった。こうした中、バッキンガム公も枢密院多数派も反政府派と和解して議会を招集する以外に道はないことを国王に進言した。 一方反政府派は国王による強制借用金に反対してその支払いを拒絶する運動を開始していた。政府は運動の中心人物らを逮捕したが、裁判所は裁判の中で国王による強制借用金を合法とは認めなかった。これに不満を抱いた法務次官が判決を勝手に改竄して裁判所が強制借用金を合法と判決したかのように見せかけた。 1628年3月に召集された議会は、法務次官による判決の改竄に驚愕し、「イングランド人の自由が恣意的課税・恣意的逮捕によって脅かされようとしている」という意識を強めるに至り、改めて臣民の自由を確認する法律を制定する準備を開始した。財政的困窮を深める国王とバッキンガム公としては議会と対立するわけにはいかず、特別税を議会が承認することと引き換えに議会が求める「権利の請願」を認めることとなった。「権利の請願」は、議会の同意なき課税の禁止、恣意的逮捕からの臣民の自由、軍隊強制宿泊の禁止、民間人への軍法適用禁止などを内容とする。内容的にはすでに明文化されていた臣民の権利の再確認に過ぎなかったが、臣民からは広く歓迎され、ロンドンではお祭り騒ぎになったという。 さらに庶民院は「災いと危険の原因はバッキンガム公への権力集中と濫用にある」としてバッキンガム公に対する抗議書の作成を開始したが、国王はバッキンガム公を護るためにその前に議会を停会した。
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