財政の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 21:13 UTC 版)
メフメト2世の治世でのオスマン帝国の領土の拡大と、それに伴う交易路の確保は帝国の経済を発展させ、国の収入は増加する。国内各地の都市、都市間をつなぐ交易路にはキャラバンサライ(隊商宿)やハーン(個室付の隊商宿)などの隊商のための宿泊施設が建設された。カッファ、ターナなどのオスマンの支配下に入った黒海沿岸部の都市では、経済活動がより活発になる。帝国の旧都であったブルサは絹織物の製造が盛んになり、またフィレンツェの商人が集まる絹・羊毛の中継交易地として発展した。 オスマン帝国の交易圏の拡大により東地中海におけるヴェネツィアの交易は打撃を受け、代わってオスマンと連携したフィレンツェが台頭した。 だが、繰り返し行われた遠征とイスタンブールの開発事業によって財政は逼迫し、貨幣の改鋳は状況を悪化させた。メフメトの治世の農業と経済の発展において利益を得られたのは、一部の商人、投資家、特権階級など限られた層のみであり、大部分の民衆に利益は還元されなかった。また、メフメトは塩や石鹸といったいくつかの日用品に専売制度を設けて増収を図ったが、同時代の人間からの評価は悪かった。 メフメトの次に即位したバヤズィト2世は、民衆の不満の元となっていたメフメトが設置した新税を廃止し、支出を極力抑えて財政を再建しなければならなかった。しかし、在位中の財政難にもかかわらず、結果的にメフメトの進めた領土の拡大は長期にわたって帝国に利益をもたらすことになる。
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