歳入増
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/30 09:26 UTC 版)
タウンゼント関税の対象と税率(抜粋)課税対象課税単位関税率茶1ポンド 3ペンス 低品質紙1連(480枚) 3ペンス 高品質紙1連(480枚) 12シリング 塗料100ポンド 2シリング 鉛100ポンド 2シリング ガラス100ポンド 4シリング8ペンス タウンゼンド諸法の中でまず最初に成立したのが、単数形でタウンゼンド法とも呼ばれる、1767年の歳入法である。これは、1766年の印紙法撤廃後、なおもアメリカ植民地からの税収入を得ようとしたチャタム内閣が打ち出した新しい方策である。本国政府の見たところ、植民地が印紙法に反対した理由は、それが直接税(あるいは「対内税」)であったということに根底を発しており、ゆえに、輸入にかかる税のような間接税(あるいは「対外税」)であれば受け入れられるものと考えた。これを念頭に、当時の財務大臣チャールズ・タウンゼンドは、植民地に輸入された茶、紙、塗料、鉛、ガラスといった品々に新たに税金を課すという案を練った。いわゆるタウンゼンド関税である。これらの品々は、北米では生産されておらず、植民地はイギリス本土以外から購入することを認められていなかった。 本国政府は、印紙法が反対された理由を誤解した結果、植民地は「対外税」であれば許容すると思い込んだ。だが植民地が「対内税」に反対したのは「対外税」ならば受け入れるということを意味するものではない。植民地のスタンスは、本国議会の決による歳入増を目的とする課税は、いかなるものであれ違憲であるというものだった。歴史研究者ジョン・フィリップ・レイドは、「タウンゼンドは、アメリカは対内税は違憲で対外税は合憲とみなしていると誤信していた。この誤信は、独立へと連なる歴史展開においてきわめて重大なものであった」と書き述べた。歳入法は1767年6月29日に勅許を得た。このとき、本国議会ではほとんど異論が出なかった。「歴史を大きく揺るがした法律が、これほど平穏無事に通過したのは他に類をみない」と、歴史研究者のピーター・トーマスは書いている。 歳入法とあわせて成立したのが1767年の補償法である。その狙いは東インド会社の茶にオランダから密輸入される茶に対抗しうる競争力を持たせることだった。この法律により、イギリス本土への輸入関税は撤廃され、植民地への輸出価格を下げることができるようになった。削減された税収入は、歳入法による植民地への課税によって一部補償されることになっていた。 タウンゼンド関税に謳われたそもそもの目的は、北米駐屯軍の支出をまかなうために歳入を増やすことだった。しかし、タウンゼンドはその目的を改め、税収を植民地総督と判事の俸給を支払うために用いることにした。総督や判事の俸給は、それまでは植民地議会から支払われていたが、本国議会は植民地から「金の力」を取り上げようと期した。歴史研究者のジョン・C・ミラーによれば、「辣腕にもタウンゼンドは、税法の整備によってアメリカから資金を取り上げ、それを財源として植民地総督や判事の地位を各植民地議会から独立させることによって、アメリカの自立に対抗した」のである。 一部の議員は、タウンゼンドのプランでは年4万ポンドの歳入しか見込めないことを理由に反対したが、タウンゼンドはその趣旨について、まずは植民地への課税を確固たる先例として確立し、それから段階的に増税を推し進め、最終的には植民地の自弁運営を視野に入れたものと説明した。歴史研究者ピーター・トーマスによれば、タウンゼンドの「狙いは財政よりもむしろ政治にあった」。
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