歳代記第壱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/16 15:34 UTC 版)
歳代記第壱は、堅紙製で縦17センチメートル、横20.5センチメートルで、表紙・本文・裏表紙とも料紙は同一の材質である。神代から宝暦13年(1763年)までの記事を収める。表紙見返しの識語に、 此年代記霊光庵重宝写也、有増之事末代ニモ書留可申于時宝暦第十庚辰年春三月久成院行眞中陰之内写之 和田春道行廣 — 歳代記第壱 と記されていることから、書写者や書写年、熊野年代記の性格が分かる。また、第壱の宝暦十年条の記述から久成院という人物が、書写を行なった和田春道行廣の父であることが分かる。古写および第壱を作成した和田氏は、梅本家蔵の系譜図『梅本系譜』によれば、梅本庵主家の傍系であったと見られ、梅本庵主の家司的立場にあった家系と推定されている。
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