歳三戦死後の伝来について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 00:23 UTC 版)
「和泉守兼定 (土方歳三佩刀)」の記事における「歳三戦死後の伝来について」の解説
本作は歳三が函館で戦死した後に生家へ戻ってきたが、その経緯は明らかになっていない。新政府に抵抗したとして評価が低かったため、運んだ人がとがめられるのを恐れて一連の経緯が秘されたためともいわれる。一説では敗戦を察した歳三は小姓の市村鉄之助に本作と自身の肖像写真、「この者の身の上お頼みします」と書いた紙とともに鉄之助に託して生家まで送らせたという話もある。 1965年(昭和40年)6月9日には、「刀 銘和泉守兼定」として日野市の市指定文化財(美術工芸品)に指定され、打刀拵も附指定を受けた。その後も土方家に伝来し続け、2019年現在は生家跡にある私設史料館である土方歳三資料館に保管されており、歳三の命日に合わせて期間限定で公開している。
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