守備隊
(駐屯軍 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/16 01:53 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動守備隊(しゅびたい、英:Garrison)とは、ある特定の地点を防衛する部隊の事である。駐屯軍(ちゅうとんぐん)とも。語源は、フランス語のgarnir garnison(防衛の意)とされている。
概要
守備隊は、主に要塞や軍事基地などの主要地点がある場所に駐屯する部隊であり、加えて基地がある街についても防衛する事例もある。
好例と言えるものに、アメリカ合衆国ニューヨーク州ウェストポイントがある。ウェストポイントは、現在はアメリカ陸軍士官学校の通称として知られ、現在では軍人とその家族が住む街として有名であるが、元々はジョージ・ワシントンによって、1778年に建設された要塞があり、その基地を守衛するため、守備隊である第1歩兵大隊が設置されていた。
イギリス軍においては、軍本部、ロンドン、コルチェスターを始めとする軍事基地及びバラック、軍キャンプを守備する為に、少将または大佐の指揮の下、守備曹長(en:Garrison Sergeant Major)を隊長とする守備隊が設置されている。
日本における事例として、旧大日本帝国時代の海軍根拠地隊、陸軍の近衛隊、衛戍部隊、及び離島を警備している守備隊が挙げられる。自衛隊においては、陸上自衛隊の駐屯地警衛隊、航空自衛隊の基地警備隊及び基地防衛教導隊がこれにあたる。
関連項目
駐屯軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 15:56 UTC 版)
「イタリア南仏進駐領域」の記事における「駐屯軍」の解説
1940年6月の開戦時点でイタリア王国陸軍は70万名の兵員を保有すると公称されていた。しかし各師団の定員は常に不足しており、また装備面での前時代性は他国に比べて工業力不足から顕著な状態にあった。陸軍においては第133戦車師団「リットリオ」が装備する150~250両の戦車はタンケッテと呼ばれる豆戦車を主力とし、戦車というよりも「装甲付きの機関銃運搬車」でしかなかった。野戦砲や輸送車両の欠乏も深刻で、アルプス山脈の厳寒に耐え得る防寒具も不足していた。こうした状況下で獲得された進駐領域は国防上の大きな利点と呼べた。 アントン作戦では伊第4軍がプロヴァンス占領を担当、また別働隊として1個師団がコルシカ島上陸に派遣された。投入戦力は総勢で13万6,000名からなり、対するヴィシー軍は6万6,000名から編成された。戦いは無気力なヴィシー軍の散発的な抵抗に終わり、ほとんど損害らしい損害を受けずに作戦を完了させてヴィシー軍を武装解除した。それから講和による領土返還が行われるまで住民による組織的な抵抗も無く、平穏に占領統治は推移していた。 また進駐領域とは別にドイツ海軍の要請で地中海から大西洋に移動したイタリア海軍潜水艦艦隊の基地として南仏西部のボルドー市も占領統治下に置かれていた。ボルドー市進駐は1940年8月から開始され、BETASOMと呼ばれた潜水艦部隊は1943年9月までに109隻の商船(59万3,864トン)と18隻の軍艦(2万トン)を撃沈した。
※この「駐屯軍」の解説は、「イタリア南仏進駐領域」の解説の一部です。
「駐屯軍」を含む「イタリア南仏進駐領域」の記事については、「イタリア南仏進駐領域」の概要を参照ください。
- 駐屯軍のページへのリンク