歳出と国際商業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 14:08 UTC 版)
こうして、塩との交換で保障された交鈔・塩引を銀に等しい通貨として流通させることによって銀の絶対量の不足を補いつつ、塩引の代金と先に述べた商税を銀単位で徴収したことにより、元の中央政府、ひいては皇帝の手元には、中国全土から多量の銀が集められた。こうして蓄えられた銀は広大な領土を維持、発展させるための莫大な軍事費として使われるほか、少なくない部分が皇帝から家臣であるモンゴル貴族たちに対する下賜という形で使われた。 元では功臣達には毎年必ず下賜があり、それ以外にも臨時の下賜があった。この総額が専売で得られた利益の2割にも達すると見られている。王族に対する下賜は、遠く西方の諸王にまで下されていたことがしられる。チンギスの時代には戦争による略奪をもたらす軍事指導者であることを求められていた君主は、元においてはまずなにより富を集め、貴族・王族たちに再分配する能力と気前が求められる存在に変化していた。皇帝の側から見れば、皇帝の独裁政権であると同時に東方三王家を始めとするモンゴル貴族の連合政権でもある元の統一を保ち、元を宗主とするモンゴル帝国の緩やかな連合関係を保つためには下賜は不可欠な事業であり、そのために富を集積できる経済政策をとることは必然だった。そして、皇室・王族・貴族はこうして得た銀をオルトクに投資し、国際交易に流れた銀は中国への物流となって大都に還流し、そこからあがる利益の一部が商税となって再び皇帝の手元に戻る仕組みとなっていた。 このように、専売制による歳入は元の経済政策の根幹に関わったため、密売は厳しく禁止された。しかし、14世紀に入ると、中央政治の弛緩は塩の密売や紙幣の濫発による信用の喪失を招き、紙幣の価値が暴落した。この結果、元の金融政策は破綻し、交鈔は1356年に廃止された。 元は権利を授与した政商や王侯が委託する海商以外の海外交易を厳禁とし、私貿易に対する海禁政策(外国からの交易船は禁止していない)を執っていた。金銀銅鉄貨や奴婢・武器防具・絹・馬匹・兵糧を持ち出しが発覚した場合は、船主以下棒叩き107回・船舶積荷没収の罰が課され、外国からの交易船に対しても徴税と取引の監視と規制が為された。 船舶は決まった港湾への登録が義務付けられ、それ以外の都市に停泊した場合は罪に問われた。また乗員も厳格な管理が行われ船長から水夫に至るまで全員に登録の義務があり、漏れがあった場合は関係者の家族諸共罪に問われた。交易先も厳重に管理され、申告した国以外との貿易は認められず、大船には官吏が乗り込み取引内容などの監視が行われた。 元では船舶税として出国と帰国の際に積荷の1/30を、交易許可として細貨から1/10を粗貨から1/15を現物で徴収した。
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