五仏寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 07:59 UTC 版)
丹羽氏定の後を継いだ丹羽氏純は戦国末期に岩村城の攻防により織田信長により逆磔によって処刑された武田方の武将秋山虎繁と、妻のおつやの方の霊の祟りにより岩村藩主が遭難したり後嗣が夭折すると言われていたため、その祟り鎮めるために、妙法寺の境内に、天台宗の恵照山 五仏寺を建て、丹羽氏明の母・香樹院の兄が剃髪して住職となった。五仏寺は、5代の丹羽氏音が元禄15年(1702年)に越後の高柳藩に転封となった時に本尊を土岐郡の桜堂薬師に移して廃寺としたため、現存していないが、妙法寺の寺内に残る「まくら冢」は、秋山虎繁と、妻のおつやの方の供養塔である。
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