五人組談合
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2000年4月、村上は、小渕恵三首相危篤の際には、当時、次期総裁の最有力候補と目されていた加藤紘一・山崎拓を差し置く形で五人組と呼ばれる密室談合政治を展開した[要出典]。メンバーは他に森喜朗幹事長、青木幹雄内閣官房長官、野中広務幹事長代理、亀井静香政務調査会会長だった。 会談中、「あんたがやればいいじゃないか」との村上の発言により、後継総理・総裁に森喜朗が就任することが決まった[要出典]。池田行彦総務会長は党三役で唯一欠席した。当時池田は体調不良であったが、五人組に池田が加わらなかったのは、池田が加藤紘一の側近だったことも影響したと思われる[要出典]。 後に村上は週刊ポスト2018年8月17・24日号の政治記者・評論家・学者52人実名アンケート「戦後歴代最低の総理大臣」の中で森の名を挙げ「総理に推したのは大間違いだった。神の国発言など空気が読めないし、辞めた後も恥知らずに大きな顔で五輪組織委員会会長をやっている」と述べている。
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