青木一重とは?

青木一重

読み方あおき かずしげ

安土・桃山江戸初期武将美濃生。重直の男。名は忠助・重通。初め徳川家康の臣で、姉川の戦い武功をあげる。ついで豊臣秀吉仕え大坂夏の陣直前に秀頼の使者として駿府に赴いたが抑留された。大坂落城後は江戸幕府仕え摂津国麻田一万石を領した。寛永5年1628)歿、77才。

青木一重(あおき かずしげ) 1551~1627

忠助 所右衛門 重通 民部少輔
◇父:青木重直 弟:青木信重
 駿河今川氏臣、後松平氏臣。姉川の合戦では越後朝倉氏下の猛将真柄直隆を討つ功をたてた。後に丹羽長秀仕え、長秀死後羽柴秀吉仕えた。関ヶ原の合戦大坂方として七手組組頭となるが、冬の陣和睦後に和睦使者として駿府に赴きそのまま抑留された。大坂落城後出家するが、後摂津麻田1万石を得た。

青木一重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/07 01:05 UTC 版)

青木 一重(あおき かずしげ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将大名摂津国麻田藩の初代藩主




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  1. ^ 小寺宮内右衛門。斎藤義龍の家臣。
  2. ^ 徳川家康の家臣。三方ヶ原の戦いで討死。
  3. ^ 羽柴秀吉の家臣。天正6年の播磨攻めで戦死。
  4. ^ a b 次郎右衛門。徳川家康の家臣。麻田藩2代藩主重兼の実父。
  5. ^ なお、小牧・長久手の戦いの後、羽柴秀吉が一重を自らの家臣にしたいと家康に頼んだため、秀吉の家臣となり黄母衣衆となったとする書物もあるが、『寛政重修諸家譜』などには丹羽家仕官時代を挟むことが書かれている。
  6. ^ 速水守久伊東長実ら1万石取り大名で構成された豊臣家の旗本衆。
  7. ^ 義弟小寺則頼の子。


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