青木兼元とは? わかりやすく解説

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青木兼元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/13 01:44 UTC 版)

青木兼元
認定情報
種別 重要美術品
名称 銘 兼元
基本情報
種類 打刀
時代 室町時代
刀工 孫六兼元
全長 87.8 cm[1]
刃長 70.6 cm[1]
反り 1.51 cm[1]
先幅 2.5 cm[1]
元幅 3.1 cm[1]

青木兼元(あおきかねもと)は、室町時代に作られたとされる日本刀(打刀)である。日本の重要美術品に認定されており、個人収蔵。真柄切真柄切兼元とも呼称される。

概要

美濃国刀匠・孫六兼元により鍛えられた日本刀であり、孫六の作刀の中でも最高傑作と評される一品である[2]

1570年元亀元年)に朝倉氏浅井氏織田氏徳川氏の間に近江国で起こった姉川の戦いは数的優位に立った織田氏・徳川氏側の勝利になったが、朝倉氏の家臣であった真柄直隆真柄直澄兄弟、真柄隆基らの必死の抵抗が続いていた。刃渡5尺を超える大太刀を持ち、暴れ回る真柄兄弟を討ち取った青木一重が使用していた刀で、その名が知られるようになった[注釈 1]。その後、青木一重が他界したのち、一重の遺言により、かつて一重が仕えていた丹羽長秀の長男である長重へと贈られる[4]。近代まで児玉丹羽氏に伝来していた。1939年(昭和14年)9月6日、『官報』昭和第3802号の文部省告示第409号により、「刀銘 兼元
」の名称で、重要美術品に認定された[5]。当時の所有者は丹羽長徳子爵[5]

作風

刀身

刃長70.6センチメートル、反り1.51センチメートル、元幅3.1センチメートル、先幅2.5センチメートルの刀で、指し表に「兼元」二字銘がある。刃文はいわゆる「関の孫六三本杉」と呼ばれる特徴を有している。

脚注

注釈

  1. ^ 信長記』では真柄直澄は匂坂式部が討ち取ったとされている。『寛政重修諸家譜』によれば、青木一重が討ち取ったのは「真柄十郎左衛門直隆が男十郎某」[3]、すなわち真柄隆基(十郎)である。

出典

  1. ^ a b c d e 本間順治; 佐藤貫一『日本刀大鑑 古刀篇3【図版】』大塚巧藝社、1966年、142頁。 NCID BA38019082 
  2. ^ 『名刀その由来と伝説』- p.136より
  3. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第六百六十二「青木」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.522
  4. ^ 関市における刀剣の特徴「孫六兼元(関孫六)」”. 刀剣ワールド. 2025年7月13日閲覧。
  5. ^ a b 『官報』昭和第3802号・文部省告示第409号” (1939年9月6日). 2020年9月27日閲覧。

関連項目

  • 日本刀一覧
  • 次郎太刀 - 千代鶴国安によって作られたとされる日本刀。打ち取られた真柄兄弟が扱っていた大太刀と言われている。

外部リンク




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