青木冨貴子とは? わかりやすく解説

青木冨貴子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 02:48 UTC 版)

青木 冨貴子(あおき ふきこ、1948年7月7日[1] - )は、日本ジャーナリストノンフィクション作家

略歴

青木書店創業者青木春男 (1919 - 2006) の二女として東京都神田神保町で生まれた[2][1]成城大学経済学部卒業後に神保町の出版社[どこ?]で勤務したのち、1981年にデビュー作『ライカでグッドバイ』を発表した[1]。第2作『アメリアを探せ』発表後の1984年に渡米し、『ニューズウィーク日本版』ニューヨーク支局長を3年間務める。ニューズウィーク在職中から雑誌『諸君!』で「たまらなく日本人」の連載を始め、退職後はフリーランスとして取材・執筆活動を続ける。1987年に作家のピート・ハミルと結婚[1]してニューヨークに在住する。

2003年に石井四郎の身の回りの世話をしていた女性に出会い、石井が1945年に綴った大学ノート2冊の「終戦メモ」を発見した[3]

著者名のクレジット

初期の著書に著者名「青木貴子」があり、書籍検索で「青木冨貴子」の該当がない場合がある。

著書

  • 『ライカでグッドバイ―カメラマン沢田教一が撃たれた日』文藝春秋、1981年。文春文庫、1985年。ちくま文庫、2013年
  • アメリアを探せ―甦る女流飛行作家伝説』文藝春秋、1983年。改訂版・文春文庫、1995年 
  • 『たまらなく日本人』文藝春秋、1988年。文春文庫、1992年
  • 『ニューヨーカーズ』新潮社、1990年
  • 『星条旗のアメリカ』文藝春秋、1990年
  • デンバーの青い闇―日本人学生はなぜ襲われたか』新潮社、1993年
  • 『ジャーナリスティック・アメリカ U.S.A.通信'90~'94』文藝春秋、1994年
  • 『「風と共に去りぬ」のアメリカ―南部と人種問題』岩波新書、1996年
  • 『ガボものがたり―ハミル家の愛犬日記』新潮社、1997年
  • 『目撃 アメリカ崩壊』文春新書、2001年
  • 『FBIはなぜテロリストに敗北したのか』新潮社、2002年
  • 『731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く』新潮社、2005年。新潮文庫、2008年
  • 『ジョン・アルパート 戦争の真実を映し出す』日本放送出版協会〈NHK未来への提言〉、2008年
  • 昭和天皇とワシントンを結んだ男―「パケナム日記」が語る日本占領』新潮社、2011年。新潮文庫、2013年
  • GHQと戦った女 沢田美喜』新潮社、2015年。新潮文庫、2018年 

脚注

  1. ^ a b c d 青木冨貴子. “BIOGRAPHY”. 青木冨貴子オフィシャルウェブサイト. 2012年9月20日閲覧。
  2. ^ “青木春男氏死去/青木書店創業者、同社相談役”. 47NEWS. (2006年5月1日). オリジナルの2013年7月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130718232341/http://www.47news.jp/CN/200605/CN2006050101001050.html 2021年12月25日閲覧。 
  3. ^ 京都府保険医協会「特集(2)講演録 731部隊の戦後と医の倫理 青木冨喜子氏(作家・ジャーナリスト)」”. 2019年8月11日閲覧。

外部リンク





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