真柄直澄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 01:26 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 元亀元年6月28日(1570年8月9日) |
別名 | 通称:十郎左衛門 |
主君 | 朝倉氏 |
氏族 | 真柄氏 |
兄弟 | 直隆、直澄 |
真柄 直澄(まがら なおすみ)は、戦国時代の武将。朝倉氏の家臣。
兄・真柄直隆と同じく五尺三寸(約175センチ)の大太刀を振るう猛将といわれ、実戦で使用したかどうかは定かではないが、越前国に滞在していた足利義昭に、九尺五寸(288cm)の巨大な刀[1]を披露した事があるという。
元亀元年(1570年)の姉川の戦いでは、織田信長・徳川家康連合軍を相手に奮戦するも兄の直隆と共に討ち死にしたといわれる。
直澄が姉川で使用した太刀は、「剣の宝庫 草薙館」に現存する。
その他
「十郎左衛門」という名と実戦で使用していた巨大な太刀(五尺三寸(約175センチ))の大きさが兄の直隆と同じである事から、この二人は同一人物ではないかという説もある。
脚注
真柄直澄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 17:58 UTC 版)
朝倉家家臣。名前の初出と特徴付けは9巻から。普段は説得力が弱いため、主君義景の世話に追われ、翻弄されてばかりだが、戦となると次郎太刀を自在に操り、戦場を暴れまわる。姉川の戦いでは兄の直隆と共に本多忠勝との一騎討ち(二対一)に挑むが敗北し、匂坂兄弟に重傷な所に隙をついて討ち取られる。しかし、必ず主君の下に帰る執念で、幽霊となって帰ってきた。
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