真柄隆基
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/24 15:20 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 元亀元年6月28日(1570年8月9日) |
別名 | 十郎 |
主君 | 朝倉氏 |
氏族 | 真柄氏 |
父母 | 父:真柄直隆 |
真柄 隆基(まがら たかもと)は、戦国時代の武将。朝倉氏の家臣。
人物
父・真柄直隆や叔父・真柄直澄と同じく、大太刀を振るう怪力無双の者だったとされる。足利義昭が朝倉義景を頼って一乗谷に来た際、御前で黒い卵形の大石を数十回空へ向けて投げ飛ばし、豪傑ぶりを披露したという[1]。
元亀元年(1570年)、姉川の戦いでは父と共に奮戦するも、父の死を知ると、その最期を見届けようと引き返したが、斬られて死亡したという[2]。『寛政重修諸家譜』によれば、徳川家康に仕えていた青木一重が「真柄十郎左衛門直隆が男十郎某」と槍を合わせて討ち取ったとある[3]。真柄(十郎)は「勇力の士」であったため、青木の武名は広く知られたという[3]。
朝倉氏滅亡後の天正11年(1583年)に「真柄加介」宛てに丹羽長秀から知行安堵状が発給されており、一族はその後も存続していることが窺われる。
脚注
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