熱田神宮へ伝来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 17:19 UTC 版)
1570年(元亀元年)、織田信長・徳川家康と浅井長政・朝倉義景が対立した姉川の戦いにより、朝倉方は敗走を余儀なくされ、味方の退路を確保するため追手が来ないよう殿(しんがり)として直隆と隆基も太郎太刀と本作を用いて奮戦するも、健闘かなわず青木一重によって討ち取られる。その後、渡った経緯は不詳であるが佩表側の刀身下半に「熱田大明神奉寄進御太刀信長御身内熊若夫婦之者也」、佩裏側の刀身下半に「元亀元年八月吉日」とあることから、合戦の直後に信長側の人間である“熊若夫婦”が熱田神宮に奉納したことがわかる。なお、夫婦連名で奉納した“熊若夫婦”がどのような人物であるかは明らかではない。その後、熱田神宮宝物殿に展示されていたが、2021年(令和3年)10月に熱田神宮の令和の代替わりを記念して建設された「剣の宝庫 草薙館」が開業したことから、現在は同館にて常設展示されている。
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