正栄尼とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 正栄尼の意味・解説 

正栄尼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 14:35 UTC 版)

正栄尼(しょうえいに、生年不詳 - 慶長20年5月7日1615年6月3日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。豊臣秀頼乳母。父は明智光秀浅井長政など、様々な説がある。

生涯

渡辺昌の妻となり、渡辺糺・つるを出産した。後に豊臣秀頼の乳母となった。

慶長19年(1614年)、京都方広寺鐘銘問題を機に豊臣家徳川家康との関係が悪化すると、大蔵卿局とともに江戸幕府との折衝により、家康と直接面会して弁解することに成功した。大坂に戻った後、意見の食違った片桐且元を糾弾。且元は大坂城を退去することとなった。

慶長20年(1615年)5月7日、大坂夏の陣にて、淀殿・秀頼に先立ち、渡辺糺を介錯し、自害した。戒名は往相院西誉正栄大姉清涼寺に肖像画がある。

出典




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「正栄尼」の関連用語

正栄尼のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



正栄尼のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの正栄尼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS