豊臣家侍女とは? わかりやすく解説

豊臣家侍女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 21:14 UTC 版)

おんな太閤記」の記事における「豊臣家侍女」の解説

こほ 演:津島恵子 実在人物書状が残る孝蔵主同一人物とする説がある)。 ねねの侍女。あさひが徳川家康輿入れした時はあさひに付けられるが、後にあさひとともに秀吉元に戻る。だが、あさひの死に責任感じ、ねねの元を去った孝蔵主こうぞうす) 演:南風洋子 こほがあさひに伴い徳川家赴いた後、奥向き取り締まるために秀吉付けた筆頭女中大坂冬の陣では初とともに和睦使者として活躍するが、城の内堀まで埋められ大坂方から徳川方への内通疑われたため、ねねの元を去り以後徳川方庇護受けた大蔵卿おおくらきょう) 演:斎藤美和 茶々乳母茶々懐妊して淀城入ったのを機に秀吉呼び寄せ以後淀殿行動共にする正栄尼 演:東恵美子 徳川家康征夷大将軍になった頃から登場家康擁護するねねを罵倒する鐘銘事件の際は大蔵卿とともに駿府赴くが、家康体よく騙され片桐且元非難するなど、終始思慮の浅い人物として描かれている。 みつ 演:東てる美 秀吉侍大将だった頃から密偵として働く女性。ねねと深く関わる。実はキリシタン清原マリアとは幼なじみ。その関係から本能寺の変後細川たまの元に出入りする秀吉キリスト教禁教した頃、物語から一時姿を消す秀頼誕生後ねねに召しだされ、秀次乱行の噂が真実かどうかを、ふみと森弥五六とともに探った関ヶ原の戦い直前細川たまを救おうとするが、死を決意した彼女を翻意させることはできなかった。以後はねねに従い大坂方の情勢を探るなど最終回まで活躍した。 ふみ (進之介→ふみ) 演:木原光知子 女であることを隠し長浜城となった秀吉仕え小姓於次秀勝、秀次らに剣術指導をする。が、後に女であることが露見し侍女としてねねに仕えるようになる。女とばれた後もしばらくは男装していた。出家して高台院となったねねにも最終回まで付き従った

※この「豊臣家侍女」の解説は、「おんな太閤記」の解説の一部です。
「豊臣家侍女」を含む「おんな太閤記」の記事については、「おんな太閤記」の概要を参照ください。

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