青木一興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/30 14:15 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動![]() | この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2020年11月) ( |
時代 | 江戸時代後期 |
---|---|
生誕 | 文政5年(1822年) |
死没 | 嘉永2年8月10日(1849年9月26日) |
戒名 | 玄了院殿俊徳義勇大居士 |
官位 | 従五位下・美濃守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶 |
藩 | 摂津麻田藩主 |
氏族 | 青木氏 |
父母 | 青木一貞、青木重龍 |
兄弟 | 重龍、谷衛昉、一興、鏗ら |
子 | 一咸 |
青木 一興(あおき かずおき)は、江戸時代後期の大名。摂津国麻田藩の第12代藩主。官位は従五位下・美濃守。
略歴
文政5年(1822年)、10代藩主・青木一貞の六男として誕生した。
弘化4年(1847年)11月23日、兄で11代藩主の重龍の養子となり家督を譲られた。同年12月16日、従五位・下美濃守に叙任する。しかし、藩主に就任してからわずか2年後の嘉永2年(1849年)、重龍に先立って死去した。享年28。
一興の死後、豊前国中津藩5代藩主・奥平昌高の十二男・一咸が養子に迎えられ、家督を継いだ。
|
- 青木一興のページへのリンク