青木一雄 (アナウンサー)とは? わかりやすく解説

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青木一雄 (アナウンサー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/08 20:24 UTC 版)

あおき かずお
青木 一雄
プロフィール
出身地 日本 東京府東京市
(現・東京都
生年月日 1917年2月20日
没年月日 (2001-07-13) 2001年7月13日(84歳没)
最終学歴 明治大学商学部卒業
職歴 NHK(アナウンサー→アナウンス部長→アナウンス主管→NHKチーフアナウンサー→理事待遇→顧問)→青木一雄コミュニケーション研究所
活動期間 1939年 - ?
出演番組・活動
出演経歴 とんち教室

青木 一雄(あおき かずお、1917年大正6年〉2月20日 - 2001年平成13年〉7月13日)は、元NHKアナウンサー。

概要

  • 明治大学商学部を卒業後、NHKに入局。
  • アナウンス部長を経て、1965年チーフアナウンサー、1967年主管、1970年理事待遇、1975年顧問となる[1]。1978年退職後もNHKの会友としてラジオ「老後をたのしく」を担当。この間、1977年コミュニケーション研究所を設立、代表を務めた。
  • NHKにおいて、高橋圭三宮田輝らと同じく、「芸能番組向けアナウンサー」の先鞭を付けた人物の一人である。
  • 趣味は民俗学旅行
  • NHK会長賞(昭和27年)、和田賞(第3回、昭和30年)。

過去の担当番組

  • とんち教室(司会 1949年1月3日 - 1968年3月28日)
  • ジェスチャー(司会 1953年2月 - 1954年5月)
  • 話のトロフィー(司会 1960年)
  • うたのおじさん(司会 1960年)
  • 老後をたのしく(司会 1965年)
  • 話の散歩
  • みんなの招待席(総合司会、1968年4月 - 1969年3月)
    • 同番組の1コーナーだった『連想ゲーム』(同番組終了後、単独番組化)の司会進行も担当[2]
  • 信子とおばあちゃん(ナレーション 1969年4月7日 - 1970年4月4日)
  • ばらえてい テレビファソラシド(ゲスト 1980年7月3日「アナウンサー特集」)
  • 本日も晴天なり(ナレーション 1981年10月5日 - 1982年4月3日)- 第67回に出演。

脚注

  1. ^ 20世紀日本人名事典. “青木 一雄(アオキ カズオ)とは”. コトバンク. 2020年3月17日閲覧。
  2. ^ 番組発掘プロジェクト通信「昭和43年、第5回の『連想ゲーム』大発掘!」No.204”. NHK. 2020年12月17日閲覧。

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