楠木正虎
(楠長諳 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 04:47 UTC 版)
楠木 正虎(くすのき まさとら)は、戦国時代から安土桃山時代の武士、世尊寺流の書道家。法名は長譜(ちょうあん)と名乗った。式部卿法印、従四位上・河内守[1]。子に楠木正辰[1]。
注釈
- ^ "おおあえ"。土師家六姓の一つ。
- ^ 「備前は長諳生国にて知己おほし」「まへ片上にも打つヽき六年在城し侍」る。『楠長諳下向記』 城は備前市東片上の戸田松城で元は播磨浦上氏の浦上国秀支配であったが、宗景独立により退去し、隣接する伊部・香登を本拠とする大饗氏の主鷹取氏が替わって支配か。
- ^ 『旧讃岐高松藩士楠氏家蔵文書』「
建武之比、先祖正成依為朝敵被、勅勘一流已沈淪訖。然今為其苗裔悔先非、恩免之事、歎申入之旨、被聞食者也。弥可抽奉公之忠功之由、天気如此悉之以状。
永禄二年十一月廿日 右中弁(花押)
楠河内守殿
並に、
楠木正成は、建武の古、朝敵たるによりて累葉誅罰せられ候へども、唯今正虎先非を悔いて歎き申候程に、赦免せられ候。弥々奉公の忠を致し候様に仰せ聞かせられ候べく由、心得て申べく候、かしく。
万里小路前大納言殿へ」(万里小路前大納言は万里小路惟房)[6]
出典
[続きの解説]
- 楠長諳のページへのリンク