織田信長・誠仁親王の「二条新御所」とは? わかりやすく解説

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織田信長・誠仁親王の「二条新御所」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:42 UTC 版)

二条城」の記事における「織田信長・誠仁親王の「二条新御所」」の解説

二条新御所」も参照 織田信長烏丸室町御池上る付近に設けた城館信長天正4年1576年4月に京に滞在した際、二条通南側の妙覚寺現在地とは異なる)に宿泊したが、寺の東側隣接する公家二条家邸宅の庭の眺望気に入った二条邸(二条殿押小路烏丸殿)は当時、「洛中洛外図屏風」に必ず描かれるほどの名邸であった。前住者の二条晴良・昭実(妻は信長養女父子直前信長はからいにより報恩寺新邸移徙して(『言経卿記』)空き家となっていたので、信長上洛した時の宿所とするため、この旧二条邸を譲り受けて、「二条殿御構へ」の普請京都所司代村井貞勝命じた翌年の閏7月信長初めて入邸、8月末には改修終わり以後2年ほどはこの「二条新御所」(「二条御新造」「武家御城」とも)に自ら居住し、京の宿所本邸)として使用する天正7年1579年)には、この屋敷皇太子誠仁親王献上同年11月22日に、東宮誠仁親王と、若宮和仁王(後の後陽成天皇)がこの二条新御所移動した。なお、この際信長は五の宮を猶子としたとされており、これを正親町天皇の五の宮である誠仁親王にあてる誤解があるが、正しく親王の五の宮が猶子となったのであるこの頃二条御所様子江村専斎老人雑話』に「信長時に二条殿をば報恩寺替え地にして移し小池御所取立て屋形結構し小池反り橋などをかけ、烏丸通に東の壁をかけ、室町東側町屋はありて、町屋の後に長壁かけたり、門は南面なり」と記録される。これによれば義昭の城」に比べて遥かに小さくこの城に対す信長考え方伺える。 天正10年1582年)、本能寺の変起きると、妙覚寺にいた信長嫡男信忠主従はそれを知るや本能寺信長合流するため出撃ようとしていた。しかし、そこに村井貞勝父子らが駆けつけ本能寺が既におちた旨を伝え防御能力優れた二条新御所へ移ることを進言した。信忠誠仁親王らを二条新御所から出した上でここに籠城し、これを攻囲する明智光秀勢と奮戦するが、信忠始め貞勝ら60余名討ち死にし二条新御所灰燼に帰した。 現在は両替町通御池上ルに「此附近 二条殿址」、室町通御池上ルに「二条殿御池跡」と彫られ石碑建っている。付近には「二条殿町」「御池之町」及び本能寺の変ゆかりの「上妙覚寺町」「下妙覚寺町」の地名が残る。なおこの「御池」が現在の御池通名前の由来となった跡地には、変の直後秀吉により信忠菩提を弔うため大雲院創建されたが、間もなく秀吉京都改造に伴い寺町四条下ルに移転させられた。 この二条新御所義昭二条城跡に設けられたとする説があるが、山科言経天正4年9月13日1576年10月5日)に「右大将二条新邸見物」、翌14日10月6日)には「武家古城見物」し石垣取り壊し搬出されている様子目撃したことが『言経卿記』に記されているから、明らかに別の場所にあった考えられる。また誠仁親王当時禁裏上の御所」に対し「下の御所」と呼ばれていたから二条新御所禁裏南方にあった思われ御所西にあった義昭二条城跡に築かれたとするのは不自然である。さらに本能寺の変の際、信忠は陣を妙覚寺から二条新御所移しているから両者近傍に在ったと推測される。同じ時、信忠恩顧小沢六郎三郎二条新御所駆けつけたが明智軍囲まれていたため「町通り(現新町通二条二条通のこと)」へ「上が」って御構えに駆け込んだと『信長公記』に記されているから、二条新御所二条通南方にあったことが明らかであり、この点からも義昭二条城とは別であった判断できるまた、先に触れたように乱後、この地に信忠菩提寺大雲院建築されていることも有力な傍証となる。

※この「織田信長・誠仁親王の「二条新御所」」の解説は、「二条城」の解説の一部です。
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織田信長登場作品:戦国 - 鬼畜王領国の経営に興味がなく団子屋の店主を務めている大名。妹の香を溺愛している。ランスとは不思議な友情が芽生え彼に影番をまかせたりしている。常に飄々としているが不治の病を患っており、ランスに織田の安泰と香の将来を支えてくれるよう期待している。本人の実力は高く剣の腕はランスと互角かそれ以上、先代死亡後の織田家の衰退ですらも、実は自身亡き後に妹と信頼しうる家臣達だけで保ちうる規模に意図して縮小させていったという計画的なモノと、文武両道に長けた名君であったことが伺える。ランスの活躍で諸国を併合し織田家が力を付けていくのをおだやかに見守っていたが、実は使徒であったペットのサルボボの籐吉郎によって封印を解かれた魔人ザビエルに体をのっとらてザビエル完全復活のためのひょうたん集めに利用され、最終的には完全に肉体を奪われて死亡する。長いRanceシリーズにおいて、リックやバレス、ガンジーなどランスと親しい男性達の中で、唯一ランス自身に「友達だった」と言わしめた人物でもある。彼を殺して蘇った魔人ザビエルに対して、ランスははっきりと友を殺された怒りと、彼の遺した香姫を護ろうという意思を表していた。信長という名前は織田家当主が代々襲名するものであり、かつては上総介と名乗っていた。本編と別のルートによっては最後まで生き延びて国を譲り隠棲したり、本当に何事も無かったりすることもある。『鬼畜王』ではJAPANの大部分を支配する存在として登場する。魔人ザビエルの魔血魂がとりついており信長としての意識はなくほぼザビエルと化している。体の全てを取り戻して完全な魔人として復活することが目的。香姫登場作品:戦国 - クエスト - 鬼畜王技能レベル:槍戦闘LV1 - 護身術LV2信長の妹でやる気のない兄に代わって財政関連を担当している少女。料理は基本的に得意なのだが、なぜか団子だけは正しい手順で作っても虹色の殺人団子になる。兄の信長の体を奪った魔人ザビエルを倒すことで仇を討つ決心をしたり、焦れて特攻しそうになったランスを一喝したりと幼いながらも強い心の持ち主である。戦国

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