加賀井重宗
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加賀井 重宗(かがのい しげむね、天文元年(1532年) - 文禄3年11月8日(1594年12月19日)、享年63歳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将である。通称は駿河守。加賀井重望の父にあたる。諱は「為宗」とも伝わる [1]。
人物
加賀井重宗は美濃国加賀井城の城主であった。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは、織田信雄に属して羽柴秀吉と戦った。加賀井城はやがて落城したが、重宗は秀吉への降伏を潔しとせず、これを拒んだ。
加賀井氏は、もともと荻須氏を本姓とする説がある[1]。その起源は、南朝の後村上天皇の皇子(諸説あり)である仁瑜(任瑜)法親王に仕えた坊官の末裔とされる。その当時、法親王は中島郡大須の真福寺(現・名古屋市)に居住し、所務を行っていたという。
重宗は文禄3年(1594年)11月8日に死去。子の重望はのちに水野忠重を斬ったことで知られる[2]。
出典
参考文献
- 尾西市史編さん委員会 編. 尾西市史 通史編 上巻, 尾西市, 1998.3, 10.11501/9572254. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002751884
- 阿部猛, 西村圭子 編. 戦国人名事典, 新人物往来社, 1990.9. 4-404-01752-9, 10.11501/13215662. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002061898
関連項目
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