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保科正寿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/12 07:54 UTC 版)

 
保科正寿
時代 江戸時代中期
生誕 宝永元年(1704年
死没 元文4年5月29日1739年7月4日
改名 喜三郎(幼名)、正寿
別名 正昭(別名)
戒名 活参玄道霊仙院
墓所 東京都杉並区和泉大円寺
官位 従五位下、弾正忠
幕府 江戸幕府
上総飯野藩
氏族 保科氏
父母 保科正賢、高木幾右衛門娘・春覚院
保科正殷
兄弟 正殷、次男、正寿、水野忠富正室、
青山幸譚正室、保科正勝
津軽信寿娘・於染
清光院、正富
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保科 正寿(ほしな まさひさ)は、上総飯野藩の第5代藩主。

宝永元年(1704年)、第3代藩主・保科正賢の三男として生まれる(生年には元禄15年(1702年)説もある)。異母兄で第4代藩主の正殷に嗣子が無かったため、享保2年(1717年)2月にその養子となり、享保3年(1718年)11月22日に正殷が隠居すると家督を継いだ。12月には従五位下、弾正忠に叙位・任官する。

享保4年(1719年)、享保6年(1721年)、享保7年(1722年)に和田倉門番、享保5年(1720年)、享保18年(1733年)に日光祭礼奉行、享保10年(1725年)、享保11年(1726年)、享保17年(1732年)、元文2年(1737年)に半蔵口門番、享保8年(1723年)、享保13年(1728年)、享保15年(1730年)に大坂加番、元文2年(1737年)7月に大坂定番に任じられるなど、諸役を歴任した。

元文4年(1739年)5月29日、大坂で死去した。享年36。跡を次男の正富が継いだ。

系譜

父母

正室

子女

  • 保科正富(次男)生母は慈照院(正室)
  • 清光院





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