明鏡院_(織田信長側室)とは? わかりやすく解説

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明鏡院 (織田信長側室)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/12 07:33 UTC 版)

めいきょういん

明鏡院
生誕 生没年不詳
墓地 見性寺
別名 智勝(法名)、直子(俗名)
原田氏(賜姓)
配偶者 織田信長
子供 織田信正
親戚 塙直政(兄)
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明鏡院(めいきょういん)は、安土桃山時代の女性、尼僧織田信長側室。『系図纂要』等によれば、信長の庶長子織田信正の生母で、塙直政の妹。名は直子と伝わり、法名が明鏡院智勝尼[1]。塙直政が原田姓を下賜されているため、原田氏(はらたし)ともいう[2]

略歴

織田信長の庶長子信正については、『信長公記』や『寛政重修諸家譜』には記入がないが、『系図纂要』や『好古類纂』所収「織田系図」などにはある[3]

信正について「庶長子、母塙直政妹直子明鏡院智勝尼」と記載されている[1][4]

直政の妹は、天文23年(1554年)5月5日尾張那古野城で信正を生んだ[1]。名を直子としているが、子の信正を従五位下、従四位下としていることから、名前の記載は母親にも官位があったとしているためと考えられる。

信正は天正13年(1585年)に剃髪して見性軒を号したが、京都市左京区の見性寺は、彼が開基といい、信正の墓と彼女を含む原田氏一族の墓もある[1][3]

脚注

  1. ^ a b c d 西ヶ谷 2000, p. 246.
  2. ^ この時代、女性は名前で呼ばれずに、出身氏族名などで呼ばれた。
  3. ^ a b 岡田 1999, p. 170.
  4. ^ 系図纂要, p. 56.

参考文献




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