織田信長軍による攻め入り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:26 UTC 版)
北勢地域の諸城を攻略していた織田信長軍は永禄11年(1568年)に更に南に下って、中勢地域の長野氏を滅ぼそうとした。そのためにまずは、長野氏の別家である細野氏を滅ぼすことを企てた。その企て通りに細野氏を滅ぼすため織田信長軍は、織田氏の宿老であった滝川一益に安濃城を攻めさせるようにした。しかし、伊勢国最大級の城郭とも呼ばれる安濃城の防備はとても固く、容易に落ちるものではなかった。この戦いの後に長野氏と織田信長は和解し、結果として織田信長の弟である織田信包が長野氏の養子に迎えて収まった。
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