後藤秀弘とは? わかりやすく解説

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後藤秀弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/19 14:09 UTC 版)

後藤 秀弘(ごとう ひでひろ、1907年9月11日 - 没年不明)は日本の化学者

経歴

1907年明治40年)大阪府生まれ。1933年(昭和8年)東北大学理学部化学科を卒業後、助手、講師を経て1938年(昭和13年)助教授に就任。1945年(昭和20年)東北大学教授[1]。理学博士[2]

1969年(昭和44年)6月、富山大学学長に就任。当時、富山大学では学生運動が活発化しており、事態を重く見た後藤は大学問題対策本部を設置。学生との対話を進めながら学生運動の鎮静化を進めた[3]1973年(昭和48年)に退任。この間、1972年度に日本分析化学会会長[4]1978年(昭和53年)東北福祉大学学長。

長男の後藤和弘は東京工業大学教授、次男の後藤幸弘は東北学院大学教授。

受章歴

著作

  • 『金属材料の光度定量』(柿田八千代、鈴木進との共著) 丸善 1956年

脚注

  1. ^ 後藤秀弘『出身県別 現代人物事典 西日本版』p1002 サン・データ・システム 1980年
  2. ^ 後藤秀弘『螢光分析研究』東北帝国大学〈理学博士 報告番号不明〉、1940年。 NAID 500000310721https://id.ndl.go.jp/bib/000007787090 
  3. ^ 紛争解決と大学改革”. 富山大学. 2022年7月6日閲覧。
  4. ^ 歴代会長”. 日本分析化学会. 2022年7月6日閲覧。



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