後藤象二郎の思惑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 04:48 UTC 版)
後藤は薩長が権力をふるう政府を見て、薩長を抑制するために民間の勢力を養成し下から薩長藩閥政府を打破して国民政府を作らねばならないと考えていた。後藤は自ら野に下り商人となって商業を興し、ひいては一般国民の力を盛り上げようと考えた。後藤自身は実務に暗いので、後藤よりは実務に明るい大隈重信に賛助を求めた。しかし、大隈からは後藤や自分では「士族の商法」で失敗すると反対された。大隈からは反対されたものの後藤は会社設立に突き進む。後藤は会社設立の動きを進めながらも、政府内では西郷、板垣、江藤、副島らと共に征韓論を唱える。しかし1873年(明治6年)10月征韓論者は敗れ野に下る。後藤も同じく参議を辞職し蓬萊社経営に専念することになる。
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