秋元春朝とは? わかりやすく解説

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秋元春朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/19 01:05 UTC 版)

秋元春朝

秋元 春朝(あきもと はるとも、1881年明治14年)9月10日[1] - 1948年昭和23年)5月13日[1])は、大正から昭和前期の政治家華族貴族院子爵議員。旧姓・毛利、旧名・寛三郎[1]

経歴

東京府出身。子爵毛利元功の三男として生まれ、子爵・秋元興朝の婿養子となる[1][2]1904年(明治37年)学習院高等科を卒業[3]イギリスに留学し、1908年バーミンガム大学商科を卒業した[2][3]。養父・興朝の死去に伴い、1917年(大正6年)5月15日、家督を相続して子爵を襲爵した[1][4]

1912年以降、拓殖局嘱託、拓殖局総裁秘書官逓信大臣秘書官、鉄道大臣秘書官、日英博覧会事務局嘱託、英皇太子接伴準備委員、帝都高速度交通営団監事、鉄道会議議員、海事審議会委員、上毛電気鉄道相談役などを務めた[2][3]

1925年(大正14年)1月24日、補欠選挙で貴族院子爵議員に選出され[5]研究会に属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[3]

親族

  • 妻 - 秋元光子(こうこ、養父の二女)[1]
  • 長男 - 秋元順朝(埼玉銀行頭取)[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』21-22頁。
  2. ^ a b c 『人事興信録 第14版 上』ア73頁。
  3. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』33-34頁。
  4. ^ 『官報』第1435号、大正6年5月16日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、32頁。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。

関連項目

  1. ^ 中央大学史料委員会専門委員会・中央大学入学センター事務部大学史編纂課 『タイムトラベル中大125:1885→2010』 中央大学、2010年、254-255頁

外部リンク

日本の爵位
先代
秋元興朝
子爵
館林秋元家第2代
1917年 - 1947年
次代
(華族制度廃止)



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